お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年7月28日木曜日
イシク・クル湖南岸を行く
まずイシク・クル湖南東端のカラコルからバルスコン渓谷へ。
最初はイシク・クル湖は見えないので、左窓から南に連なるテルスケイ・アラトーを眺めながらの旅となった。峰々の前に立ちはだかる斜面のゆったりとしていること。
山脈に近づくと遠くの高い峰はなかなか望めない。やっと白い山が見えて写真ストップ。
添乗員金子氏の旅日記によるとエリツィン峰(5168m)だが、Rarity社のイシク・クル湖地図ではAkshirak Rangeとなっていて、その最高峰は5129m。Google Earthでは5125mの峰があるのだが、キリル文字なので読めない。
次の山を目指してバスはひたすら走って行く。
そして道路の両側にはこのように街路樹が並んでいることが多く。きれいな景色を眺めることはできても、撮影は難しかった。
このような小さな町を幾つか通り過ぎて、
再びイシク・クル湖が見えてきた。
湖沿いにしばらく走る。
T字路で左折し、バルスコン渓谷へ。
途中のバルスコン河畔から、玄奘三蔵がベダル峠を越えてやってきた谷間がわかるというので写真ストップ。
中央の山と東側の山の谷間がその道だったという。
この山々の間を抜けて出てきたらしい。
高昌国で麹文泰にたくさんの「黄金と絹」を与えられた玄奘三蔵は、ベダル峠からイシク・クル湖畔にやってきた。
『玄奘三蔵、シルクロードを行く』は、跋禄迦(バールカ)国を出て、すぐアクス川を渡り、西北に行くこと「三百余里」、砂礫を渡って天山の麓に着いた。そこが「葱嶺(パミール山脈)の北端」にある凌山(ベダル峠)を越える道の基点に当たる温宿(現在のウチトルファン)であったのかいまだ明らかではない。温宿は鳩摩羅什が母親とともに訪れた「亀茲の北界」(『高僧伝』)である。
眼前にそびえる山崚は、「嶮岨で天に達するほど高い。天地開闢以来の氷雪が積もり積もって春夏になっても解けることはなく、氷河となって雲につながっているようで、仰ぎ見ると皚然として果てしなく伸びている」。
東へと流れる山麓の川を渡り、凌山に入る。ときどき風雪がふきすさぶ。「履(くつ)」をはいていても、「裘(かわごろも)」を重ね着しても寒さを防ぐことはできない。強風が吹けば砂や石が飛び、雨のように降りかかる。眠ろうとしても乾いたところがない。ただ釜をかけ、火を燃やし、飯を炊き食べて、凍てついたところに寝るほかはない。凌山とは氷山の意味であるという。まことに至言であった。「生命をまっとうしがたい(難以全生)」険しい「四百余里」の山道と苦闘すること7日、かろうじて山を抜け出ることができた。苦難の山旅の途中で凍死した者が「10人のうち3、4人もおり、牛馬の失われたものはそれ以上にはなはだしかった」と玄奘は記録している。
峠を過ぎればすでに国域は西突厥である。ひたすららに山を下ると、やがて目の前に波立つ青黒い湖が見えてくる。大清池である。
玄奘一行は束の間の休息を湖のほとりにとった。ここから葉護可汗の王庭のある素葉水城(スーヤーブ、素葉城)に至るのに、彼らは湖の北岸沿いの道をとったのか、南岸沿いに進んだのかは、明らかではない。ただ「海に循い」(『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』)、「清池の西北へゆく」(『大唐西域記』)としか記されていないという。
イシク・クル湖は冬でも結氷しないのに、舟を利用しなかったのかな。
カナダが金の採掘をしているということで、大型のトラックが頻繁に行き交う。舗装はされていないがよく整備されている。
『イシク・クル湖』ではKumtor gold mineという名称があった。
山間に入るとさすがに道は狭くなる。S字カーブのところでバルスコン渓谷を渡る。
お馬さんの通り過ぎるのを待つしかないです。
雪を戴く山が谷間から見えてきた。
あのガガーリンが保養にやってきたということで、ガガーリンの頭部がモニュメントになっている。
その奥にある滝はバルスコン滝(別名ユキヒョウの涙)なのだとか。
右側はイッティシュ峰(Ittish peak 4808m)で
正面奥はドズウクチャク峰(Dzuukuchak peak 4042m)かな(『Lake Issyk-kul』より)。
バルスコン川の流れ
ここで黄色いケシを見た。それが何とも言えないもので、地を這っているのだった。
続いてイシク・クル湖の西端まで
道沿いにラベンダーのような紫の花が見えてきたので写真ストップ。
この辺りから、南岸の道路沿いには、テルスケイ・アラトーの裾野の土山が近づいて来た。
縦に裂け目の入った異様な崖だった。軟らかいので雨に浸食されていくのだろう。上は平ら。
それが終わると、今度はその浸食が進んで、こんな景観を造り出していた。
その後ユルタの並ぶツーリスト・ビレッジで昼食。
キルギスのブランコは、二人で立って乗る。
クンゲイ・アラトーの峰々。バスでの移動なので、このように止まって山を眺めたり写したりできるのは貴重なひととき。
そして鷹匠の実演を見学。
職業ではなく趣味なのだとか。
テルスケイ・アラトーと鷹匠の跡取り。
再出発してしばらく行くと、驚いたことに新疆で見たような極彩色の山々が見えてきた。
こんな風に見るとどこの国にいるのかよくわからない。
古代テチス海(Tethys Ocean)に堆積した様々な鉱物によって岩の色が異なり、更に複雑に褶曲などを繰り返してこのようになったとか。
またしてもラベンダーのようなシソ科ミント属の植物が道路脇に並んでいる。
南方にはまた白い峰々。
クンゲイ・アラトーの雪を戴いた山並みが終わりに近づいた頃、イシク・クル湖の対岸が見えてきた。
バリクチーの町が見えた。
カラコルで朝散歩← →ソンクル湖へ1
関連項目
イシク・クル湖南岸で咲いていた花
※参考文献
Rarity社のイシク・クル湖地図
添乗員金子氏の旅日記
「玄奘三蔵、シルクロードを行く」 前田耕作 2010年 岩波新書