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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年1月30日月曜日

ハムザ記念芸術研究所1 ハルチャヤン宮殿遺跡の出土品


テルメズから飛行機でウズベキスタンの首都タシケントに戻ってきた。そして、なかなか開いていないというハムザ記念芸術学研究所の見学となった。
行きたい所、そして行ったところは、その場所をGoogle Earthで確かめないと気が済まないが、ここだけは見つけ出すことができない。ウズベキスタンの省庁の建物内にあるそうで、ここからは撮影禁止だった。

ある建物に研究所の展示室があった。そこでは、修復の専門家が説明をしてれた。
彼は言った、ここには、写真やフラッシュで傷むものはありません。好きなように写して下さいと。
フラッシュを使うと白くなってしまうので好きではないが、あまりにも暗いと写らないので、そんな時だけ使った。
そこには加藤九祚氏のかなり古い、変色した写真があった(それを写して編集)。

今回はハルチャヤン宮殿遺跡の出土品から
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』(以下『遺産展図録』)は、まとまって出土した塑像と壁画は紀元前1世紀の宮殿建築を特徴付けるものとして極めて興味深い。ハルチャヤンでは35体以上の塑像が発見された。それらは、柱廊の柱の上部に飾られ、大広間の壁一面にほぼ隙間なく装飾されていた。塑像は、可塑性のある黄土を用いて、体全体表現した彫像と背面を平板とした高浮彫りがあり、ともに表面は顔料で彩色された。
広間に装飾された塑像は、上層階級の人物像と宗教的彫像であり、この地の支配者を讃えて奉られたものと考えられる。
これらの彫像は、民族的タイプや髪型、帽子などの特徴からだけではなく、特に彫像の顔貌表現から、同一氏族の男性像や女性像であることが明らかである。そこには、支配者の肖像をはじめ、その家族、王家の代表者、近隣国からの高客の肖像が描写されている。リュート奏者像やサテュロスを想起させる男性頭部、そして両手に花綱を持つ少女の像は極めて現実的に表現されている。
ハルチャヤン出土の塑像は全て、表面が赤色、白色、黒色、淡青色、黄色や、まれに緑色で彩色されていた。
ハルチャヤン出土の塑像と壁画は、紀元前後のバクトリアにおける大型造形芸術の最盛期を証明するものであるという。

遺跡について詳しくはこちら

テルメズのガイド、セルゲイさんが現地で見せてくれた本の柱廊玄関と同じ復元図が、ここでも壁にかけてあった。しかもカラーだった。
どうやら、この柱廊の空間を大広間と呼んでいるらしい。その壁面上方にある装飾。これこそが、塑像や壁画によるものだったという。

同書は、6つの支柱台をもつ柱廊玄関があり、その奥に彫刻品で埋まった方形広間が続き、さらにその奥には、2本の支柱を持つ王の間があったという。
『南ウズベキスタンの遺宝』は、ハルチャヤン宮殿の塑像は、アイワンと主要な広間の壁面の上半分にあり、多数の像からなっていた。ひどく断片的に残っていたが、それでも広間の長い壁面を形づくる3つの構図を復元することができたという。
おそらく、下図は方形広間の想像復元図だろう。ここを大広間と呼んでいるのだろうか。
花綱を持つ少女の像というのは、天井下の狭い空間に連なる装飾帯の断片だろう。

『南ウズベキスタンの遺宝』は、中央に玉座があった。クシャンのヘラエス王家の一首長と思われる人物が夫人とともに玉座に腰かけ、その両側にその直系らしい人物とバクトリアおよびパルティアの貴族が見えるという。

統治者坐像断片 前1-後1世紀 粘土 134X71㎝ 広間中央出土
『遺産展図録』は、頭部以外は4分の3だけ浮き出た、高浮き彫りである。整った顔立ちと落ち着いたたたずまいからクシャンの支配者の坐像と考えられるという。
『南ウズベキスタンの遺宝』は、骨組みは腐って空洞になっている。上衣は左前に着て、その三角形に開いた襟口には丸い襟のシャツが見える。上衣には絵文様の跡が残っている。脚には斜めにひだのはいったズボンをはいているという。
坐像というよりは倚像なので、ほぼ等身大。
この像の横に夫人像もあったのかな。それだでなく、王家一族やバクトリア・パルティアの貴族たちの像も並んでいたというから、広間の奥壁ではないのかな。

同書は、右側の構図では同様にヘラエス一族の人びとがおり、くるまに乗った守護の女神が彼らの方向を向いているという。
二頭立ての馬車に乗り、ヘラエス一族の方に向かう女神
女神像はややピンボケ。


『南ウズベキスタンの遺宝』は、左側の彫像群では馬をとばす騎士像が見える。これは軽装の射手が馬に乗って矢を射ており、また人馬ともに鎧をつけた重装騎兵が見えるという。

騎馬像断片 前1-後1世紀 粘土 160X145㎝ 宮殿広間出土
『遺産展図録』は、宮殿の壁面を飾ったレリーフの遺構一部と考えられる。馬に乗り、後ろを振り返って、弓を引き絞っている。鋭い視線、東洋的な髪型など、クシャンの人々の特徴をあらわしているという。
図録は10年程前に開催された同名の特別展のものだが、この人物は図録とは顔の向きや角度が違っていて、鋭い視線は下を向いてしまっている。図版では、白い鉢巻きをした騎士が鋭い視線を後方に向けていて、あたかも追い迫る敵をパルティアン・ショットで射た瞬間のような迫力があるのに。

『南ウズベキスタンの遺宝』は、以上の光景についての解釈はいろいろとあり得る。例えば、ヘラエス一族がスルハンダリア川流域を占領するためにバクトリア人と戦っているところかも知れないし、あるいはヘラエス一族が彼ら以前にこの地にきたサカ族と戦っているところかも知れない。また、クシャン国が成立する以前にあった五翕侯のうちの二つが争っている図であるとも考えられる。

三楽士像断片 前1-後1世紀 粘土 80X139㎝ 宮殿広間
『遺産展図録』は、左右に楽器を奏でる人物と中央にはおそらく歌手があらわされている塑像。奏者と判別できるのは、わずかに左側の琵琶奏者の弦をつま弾く右手が残存しているからである。これも宮殿の壁面を飾っていた浮き彫りレリーフの一部という。
2人の楽士の前にあるうねったものは花綱で、それを中央の歌い手が持っているのかな。

壁面装飾といえば壁画が一般的だが、こんな風に粘土の高浮彫で様々な場面を表すというのは珍しい。

塑像頭部は多く出土している。
『南ウズベキスタンの遺宝』は、表情が彫像によって全部ちがっており、一つとして繰返しがみられない。ヘラエス一族の場合ですら、民族的タイプや髪形、口ひげやあごひげなどは似ているけれども、それぞれの顔は個性的である。ここには明らかに人物像における個性的なものやはげしい情熱にたいする関心をともなうヘレニズムの影響がみられる。壁面上部のフリーズには花綵をはこぶ子どもの姿が示されている。このモチーフはヘレニズムおよびローマの彫刻によく見られるものである。花綵の突出部には全く現地的な顔をした役者や楽人、旅芸人の胸像がつくられている。王と王妃の頭上にはヘラクレス、アテナイ、ニカなどギリシアの神々が見えるという。
左端に人の指が写っているので、それで大きさがわかる。

戦士像頭部 前1-後1世紀 粘土、化粧漆喰 27X18X20㎝ 宮殿広間中央
『遺産展図録』は、帽子状の兜を被った、戦士の像。目を大きく見開き、憂いを帯びた表情であらわされている。これらの像から、ハルチャヤンの宮殿跡はクシャン朝の王侯貴族を祀る神殿でもあったと考えられるという。

紋章メダイヨン 2世紀 粘土 径8.0厚2㎝ 宮殿出土
非常に分かりにくい写真。
『南ウズベキスタンの遺宝』は、円形土版に型押し。円形の枠の中にくまなく構図が納められている。中央には、二体の正面を向いたライオン像のある玉座に君主がすわっている。とんがり帽子をかぶり、先の尖ったあご髭を生やしている。ぴっちりとした丸い襟のシャツの上に縁どりのある上衣を着て、足には柔らかい長靴をはいて低い台の上にのせ、足先を逆方向に向けている。左手は膝の上にのせ、右手はやや曲げて枝かあるいは角をもっている。玉座の左手には同じような帽子をかぶり服を着た人物(寸法は小さい)がいる。右上部には、手をあげ花冠をもって飛ぶニケ女神がいるという。
そう言われると、獅子座に座った人物と、とんがり帽子を被った小さな人物がいる。



       キリク・クズで見たかったものと日没後のスルタン・サオダット廟
         →ハムザ記念芸術研究所2 ダルヴェルジン・テパの出土品

関連項目
ウズベキスタン国立美術館1 ハルチャヤンの出土物
国境を越えてハルチャヤン遺跡へ

参考文献
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ
(創価大学創立20周年記念)「南ウズベキスタンの遺宝 中央アジア・シルクロード」 編集主幹G.A.プガチェンコワ 責任編集加藤九祚 1991年 創価大学出版会・ハムザ記念芸術研究所