お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年6月5日月曜日
ヤズドで朝散歩
昔キャラバンサライだったホテルで宿泊。翌朝散歩に出た。部屋、422号室の木の扉と鍵。
迷路のような複雑な廊下を通って、
往時を偲ばせる木の扉の前を通って、
外部に出られるのではと思われる扉も遠くから見て、
その後も廊下は長々と続くのだった。
やっとホテルを脱出。ネオンの看板はけばいけど、ここにも木の扉はあった。
キィアム通りに出てアーケードを振り返る。
ちやんと案内があるので大丈夫。
目指すは昨日夕刻に見たチャクマク・モスク。
ホテル・マレクオットジャールからは遠くはない。イマーム通りを渡ったところにある。
通りの向かいの深いイーワーン状のところで人々が集まっていた。モスクには見えないが、朝の礼拝のようだった。
通りの南側を歩いていると、モハマダリハーン・バザールという標識があったので、路地を覗いてみた。
日干しレンガっぽいものが見える。時間があったら入り込んでみたいところ。
イマーム通りを渡ってバードギール(採風塔)に続いて二階建てのアーケードが始まり、
それは、正面の幅広でイーワーンの上に細い一対のミナレットのあるマスジェデ・チャクマク(このミナレットのためにそう信じていた)の左右に付属している。朝なので日陰。
説明板は、ティムール朝期、アミール・ジャラル・アルディン・チャクマケ・シャミはヤズドの統治者に任命された。彼とその妻は、貯水池・修行者用の宿泊所・学校・隊商宿・井戸そして立派なモスクのある複合施設を広大な広場に建設し始めた。
モスクは大きなドーム、優雅な基盤、夏用と冬用のドームのある礼拝室があったという。
右隅に、アシュラーの祭の時に担ぐ神輿が置かれていた。これは糸杉を象ったもので、イスラーム以前からある、生命の力強さの象徴、生命の樹という古代の考え方がイスラームの時代になっても残っていると、添乗員金子氏から後ほど教えてもらった。
チャクマク・モスクに来たかった理由は、『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHTECTURE』に掲載されたこのモザイクタイルのある場所を探すためだった。
ミナレットの下にあるイーワーン。そんなに古いものではなさそう。
アーチ・ネットによってできた区画には矩形のタイルで単純な幾何学文が表されている。
その下から中の通路に入ってみたが、シャッターのおりた商店が並んでいるだけだった。
その中で唯一灯りが付いていたのがケバブ店。
中でおじさんが黙々と肉を串に刺していた。
その通りを突き抜けると道路(Salma-e Farsi)になっていた。ここはモスクではなく、ワクフ(モスクや神学校の運営にその使用料をあてる)のための商店街だった。
Salma-e Farsi通りからラクダに乗ってやって来た隊商たちは、この門を通ってヤズドの街に入ったのかも。
振り返ると、高いドゥ・ミナール(一対のミナレット)の先が見えていた。でも何故ミナレットが商店街にあるのだろう。
右手から外に周りこむとその全貌が見えたが、どこも鍵がかかっていた。
二階建てのアーケードへ。
そして帰国してからわかったのだが、ここはターキエと呼ばれる商業施設で、向こうにドームが見えているのが、チャクマク・モスクなのだった。
往時はこの二階建ての両翼にも、イスファハーンの王の広場のように商店が並んで賑わいがあったのだろう。
ミール・チャクマク・モスク(1437年、三次元投影図、『GANJNAMEH6』より)南イーワーン側にそのタイルは残っていた。
鮮明ではないが、イーワーン右にある尖頭アーチの通路上の矩形の壁面にあるのだった。
一方、チャクマク広場の一角に水利施設の博物館の入口が。もちろん早朝なので開いていなかった。
キィアム通りを戻って行く。
アーケードがあれば写してしまう。
こんなレトロな街も覗けたりした。
この突っ支い棒はすごい。
次ぎに目指したのは、キィアム通りの南に面したリグ・モスク(Reeg Mosque)。テヘランで泊まったホテルに入っている書店で買った『GANJNAMEH6』で、西入口の浮彫された扉に1038年、冬の礼拝室(シャベスタン)の礼拝用壁龕には1251年の紀年銘があると紹介されていたので、古いモスクなら見学してみたいと思ったのだった。
実際にはその入口は目立たず、標識でやっとわかったが鍵がかかっていた。
それにそんなに古いものでもなさそう。
『GANJNAMEH6』は西暦ではなくヒジュラ暦を使っていることが分かったのは帰国後のことだった。
従って西入口の浮彫のある扉は1628年、冬の礼拝室の壁龕は1835年ということになる。
続いては、これも同書で見つけたモッラ・イスマイール・モスクを目指すことに。
同書は大きく重い本だったので、散歩に持って出ることはできず、その位置はうろ覚えで、キィアム通りに面していないくらいの見当だった。
メイダネ・ハーン・バザールという標識のあるアーケードに迷い込んでみる。
右側はアーケードがない。
外に出て振り返ると、ミナレットとドームが見えていた(ビデオより)。それが三次元投影図で判明したのだが、この時はこんなところまでモスクが続いていようとは思ってもみなかった。
西入口のイーワーンと木の扉も気付かすに通り過ぎてしまったのだ。
小さな広場の向こうにはモスクらしきドームとイーワーンがあったので、
アーケードの中から近付くと、
木の扉が片側だけ開いていた。
中を覗くと学校のようだった。
その広場には池(神学校の泉水?)もある。通りがかった男の子にマスジェデ・モッラ・イスマイールがどこか尋ねると、私のやって来た方向を指す。大人に聞くと、公園の奥、右にあるアーケードへ行けという。
右奥のアーケードに入り、
明かり取りのある交差点で右折。
アーケードを抜けると、またしてもバードギールのある建物。これがモスク?
右側は尖頭アーチの浅い壁龕が並んでいて、モスクには見えないし、反対側は工場のようなところだし。
それで、続きのアーケードへ。
右のレンガが気になる。
奥にあるのは、ナンを焼くための窯だろうか。それを塞いでしまうのかな。
その先には通路の上に煙突のある部屋が。
とてもモスクのある雰囲気ではないので先ほどの広い通路に戻ると、地面がモザイクになっていることに気付いた。
それで左の工場の門に見えた方に目を向ける。これがひょっとしてマスジェデ・モッラ・イスマイール?道行く人に尋ねるとそうだと言って、右の茶色い扉から入って行った。
私も入ってみると、神学生なのか、教師なのか定かではない人たちが数人いた。入ってもいいですか?と身振りでいうと、ぎょっとして固まったままだった。
せっかくなので、厚かましく右の扉から奥に入ってみた。奥の中庭の方が広い。
中央には泉水、南翼にはイーワーン。
三次元投影図(『GANJNAMEH6』より)
同書は、大小の中庭を隔てる木の扉の紀年銘は1241年で、柱廊にある1247年の銘は見ることが出来るという。
これも後にヒジュラ暦であることが分かった。1241年は西暦1825年だったのだ。
この時は、古いモスクだが、建て替えられてしまったのかなと思って見ていた。
大小の中庭を隔てる中門の北面には、簡素ながら空色嵌め込みタイルの装飾。
ムカルナスを見上げる。
中門内部のドームは16頂点のアーチ・ネット。焼成レンガだけの簡素なものも良いが、古いものはこんな風に白い目地を見せない。
平たいドームは四隅のアーチ・ネット状のペンデンティブで支えられていて、2つのペンデンティブの間には半ドームが四辺の上に架けるなど、古いものにはないデザインも。
一方、扉側にはそれがない。イスタンブールのアヤソフィアの、大ドームを4つのペンデンティブで支え、その下で二面の半ドームが補強とているのに似ている。
中門の北側には日が当たってタイル装飾がよく見える。
カジャール朝時代のタイル装飾。
植物文や幾何学文をモザイクタイルで表すという技法は廃れてしまったのかな。
焼成レンガによる曲線的な幾何学文様のパネル。そしてその上に、柱絵付けタイルのインスクリプションと、その両側にはモザイクタイルの装飾も。モザイクタイルが絶えたわけではなかったが、制作に時間がかかるので、嵌め込みタイルにしたのだろう。
ムカルナスを小曲面に仕上げることもていない。下側の平面には、青色タイルの組紐が幾何学文様を編んでいるが、その中の焼成レンガにも浮彫か何かの文様がありそう。
そろそろホテルに戻らなければ。
こんなアーケードを通って戻りたかったが、迷うと大変!
それでキィアム通りに出ることにした。
通りはまだ人気がないが、小さな女の子がやって来る。
登校中のその子は通りを渡ってしまった。
お菓子屋さんは開店準備中。
一つ目のアーケード、
その左側にはこんな祠のようなものも。
そして先ほど通ったメイダネ・ハーン・バザールのアーケード。
そろそろ開店の支度が始まっていた。
マレクオットジャール・ホテルへのアーケードに入り、途中で右側に分岐があった。
その向こうに見えた植え込みは、神学校のある中庭のものだった。
そして、次ぎに備えて栄養補給。
黒いナツメヤシ(高級品、でも1㎏2ドル)は必ず2つ食べることにしていた。メロンとスイカは山のように持ってあったが、控えめに一つずつ。
ヤズド 街と隊商宿ホテル← →ヤズド ダヴァズダー(十二)イマーム廟
関連項目
ヤズド マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)
ヤズド ゾロアスター教神殿(アータシュキャデ)
ヤズド 沈黙の塔(ダフマ)
参考文献
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年