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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年8月5日土曜日

ビーシャープール(Bishapur)1 アナーヒーター神殿


ビーシャープール遺跡について 『古代イラン世界2』は、その息子でもあるシャープールⅠ世(在位241-272)は、260年に再度ローマ軍と交戦しペルシア側に圧倒的勝利をもたらし、特にローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜とし、ローマ軍の捕虜7万人とともにイランに連行している。
捕虜のなかにいた多くの専門技術者や捕虜を動員して都市、道路、ダム、橋などの大土木工事を行ないイラン南部の発展をもたらしている。とりわけ彼の名を冠した都市ビーシャープールは、直線の通りが碁盤の目のように直角に交差する、いわゆるヒッポダモスの考案した西方の様式によって造られた都市として有名であるという。
ガイドのレザーさんは面積が200万㎡あります。当時としては非常に大きな街ですという。
ビーシャープール遺跡全景(『世界の大遺跡4』の空撮写真より)

タンゲ・チョウガーン渓谷から望むビーシャープール遺跡
城壁の丸い監視塔が目立つ。
近くで見ても円塔が多い。
入場は西の方から。
歩き続け、
城壁の途切れた箇所から入ると、右に建物の遺構があった。
振り返ると、要塞の残っていた山の反対斜面。やっぱり地層の傾きが面白い。
その手前にはアナーヒーター神殿。
広大な遺跡なので、宮殿付近を見学。
Google Earthより
先ほどの建物全景
見て下さい。あの建物の向こうには土の山があるでしょう。ほとんどが土に覆われたままです。
ガイドのレザーさんの後をついて、その建物跡へ。
門ではなく窓から入る。
その中は、球に近い柱礎の散在する広い空間。部屋の仕切り(壁)の跡がところどころに残っている。これは列柱回廊のある部屋で、各辺3本の円柱のある中庭の跡。
レザーさんは、武器庫として造られた建物が、千年前にメデレセに建て替えられましたという。
中庭の東側に3部屋ほどがある。
ということで、回廊南の部屋の一つに立っていた。
この台座と柱礎に文字が浮彫されていた。イスラームとしては早い時期の建物になるのかな。
排水設備も具えていた。

続いてアナーヒーター神殿へ。内外の石壁の間を土や石で充填している。
切石積みの壁西側に沿って南の角。
そこから階段の側壁が出っ張っている。
階段から中へ下りて行く。
縦長の石材を使った、あまり見ないヴォールト天井。
その下でレザーさんが待っていた。出入口手前には左右に狭い通路がある。
北壁
東壁
西壁
出入口の構造が面白い。ローマ軍の捕虜たちは、石積みならアーチ形にしただろうが、サーサーン朝側の意向が入ったのか、平たく造ってある。両側の石と上の石を斜めに切って合わせ、落ちない工夫をし、その上に切石を載せていて、楣石でもない。
しかし、ここで重要なのは一段下がった床面の出入口前にある小さな四角い穴です。そこから水を流して溜め、栓をしました。アナーヒーター女神は水の神様なので、祭祀が儀式をして、ここから街に水を供給しました、とレザーさん。
今から水の出て来るところに行きます
この出入口から
左の通路の奥へ。
水の神殿側の壁はほぼ整った大きな切石を積み、外側は小さな切石を積んでいる。
そこは洞窟のようになっていた(不思議なピンボケ)。
この奥の水路からチョウガーン渓谷の水を汲み出しました。当時は川の水位とここの高さが同じでした。
中央奥に凹みがあり、そこから水が湧いてきたらしい。
切石がごろごろ落ちているので、当初は他の壁同様石壁だったのだろう。
敷居に注目。このような穴から水を神殿の方に流していたという。
全くの余談だが、地下足袋が見える。街を歩いていると注目を浴び、この人は自らninja shoesと説明していた。私も女性たちに不思議そうに尋ねられて、Japanese traditional shoesと言ったが、ninja shoesの方が良かったかも。
その後通路を一巡し、水の通る穴を見て廻った。
出入口には四角い穴だけでなく、丸い穴も。
こんな小さな穴のところも。
レザーさんはどんどん進んで行くのでついて行けない。
水路は通路よりも一段低く、上の出入口の水路には、板で栓をするための切り込みがある。ここで一括して水を止めたのだろう。
神殿側の壁は整った大きな切石積みだったはずなのに・・・
神殿を出る。
北壁にのっているものが気になる。
アケメネス朝の双頭の牡牛形柱頭を真似たものでもないだろう。
階段を上がって東方を眺める。右手は謁見の間で次回。
こちらはシャープール1世のハレム。レザーさんはもう次の説明を始めている。
急がねば!

タンゲ・チョウガーン サーサーン朝の浮彫←→ビーシャープール2 謁見の間

※参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトビーシャープール都市遺跡

※参考文献
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 長澤和俊監修 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団
「世界の大遺跡4 メソポタミアとペルシア」(編集増田精一 監修江上波夫 1988年 講談社)