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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年9月11日月曜日

スーサ(Susa)2 エラム時代の宮殿まで


スーサ遺跡はまだ東の方へ続いている。
Google Earthより
先に橋があるようだ。
橋を渡ると、
スーサの宮殿の東方にある記念門というが、
左側に見えるのもこの程度で、全体が把握できない。
説明板は、宮殿の東に、大王は記念門を東西方向に建立した。記念門(40X30m)は、それぞれに2階か屋根へと導く螺旋階段のある、2つの矩形の部屋に挟まれて、4本の円柱と通路のある中央広間となっている。円柱の銘文は、ダリウスが建てたことを記している。南西の通路側壁に宮殿に向いて、等身大のダリウス1世が置かれたという。
そこで、先の展望台から眺めた写真を。
この記念門が城壁に設置され、外国からの使節団などは、この門を通って宮殿に入った。
門と城壁の前の凹地は、『ペルシア建築』が、シャヴール川から十分な水を引き込んだ深い堀があり、この堀がいくぶん高くなった敷地をほとんど難攻不落なものとしていたというその堀。
では、さっき通った橋の下は何だったのだろう。
ついでに戻る時に写した中央通路も。
後日、この記念門から発見されたダリウス1世の像をテヘランの国立博物館で見た。
ギリシア風の衣文表現、左足を一歩踏み出した表現はギリシアにもあるが、元はと言えばエジプトの像を真似た姿勢だ。ペルセポリスでは王の浮彫像ばかり見ていたので、丸彫像は初めて見た。

ダリウス1世立像 総高2.66m台座104X64、高51㎝
説明板は、王はペルシア風の服装で、帯に双刃の剣を差している。アケメネス朝の公用語である古代ペルシア語(Dsab)、エラム語、バビロニア語に加えて、エジプトのヒエログリフの銘文がある。それによれば、これがダリウス王の像で、ダリウスの命でこの像がエジプトで造られたことを記している(おそらくヘリオポリスの神殿に安置されることになっていた)。
王はペルシア風の服装だが、背面の柱や台座の装飾はエジプト風である。台座の前面と背面には、ナイルの神ハピが表されている。そして両側面には、エジプト風の人々が24のカルトゥーシュの上に描かれている。
像は灰色花崗岩で、化学的な分析で東エジプトのワディ・ハママ産であることがわかった。エジプトでつくられ、クセルクセス1世の時代にスーサに運ばれた可能性があるという。
その24の国の人々も記載があるが、ペルセポリスのアパダーナ東階段に表された使節団とは違う名もある。
ペルシア人、メディア人エラム人、アラン人、パルティア人バクトリア人、ソグド人、アラコシア人、ドラビダ人、サッタギダイ人、ホラズム人、サカ人バビロニア人アルメニア人リュディア人カッパドキア人、スクドリア人、アッシリア人アラブ人エジプト人リビア人、ヌビア人、マカ人、そしてインド人。
説明板には片方の面だけが載っていた。
そしてその下には、エジプトの王の玉座で見たハピ神が。
2人で植物の茎を結んで引っ張り、上下エジプトの統一を表している。

もう一つ橋を渡る。

左手に見えてきたのはクセルクセス1世のハディシュ宮殿
その三次元投影図(剥落部が多くわかりにくい)
説明板は、24X24mの正方形で、南北に一対の柱廊がある。中壁で隔てられた中央部を囲んで左右対称に4つの部屋がある。建物の柱にあるクセルクセスの銘文は、ダリウスに捧げられたものであることを記している。クセルクセスはこの入口を、宮殿や大ホールを指す「ハディシュ」と呼んだという。
クセルクセス1世はペルセポリスにもハディシュと呼ばれる宮殿を建立した。
それについてはこちら
かなり崖っぷちに造られている。
その先に展望台が。
そこから眺めたのは、エラム時代の宮殿だった。レザーさんによると、最近公開されるようになったところという。
説明板は、フランスの考古学者ロマン・ギルシュマンは21シーズンの発掘調査の間、この王朝の丘を1h掘った。ギルシュマンはイスラーム時代からエラム時代まで、15の文化層があることを認識した。故に、ここは15番目の町と呼ばれ、古エラム時代末期(前1900-1500年)のものであるという。
こんな崖に囲まれた谷間に宮殿を造った。天然の要害そのものだ。
アケメネス朝時代には基壇を高くして宮殿を造るようになったのは何故?
右端手前のレンガ積みはイスラーム時代のもの。
一番奥
右の壁の上部には、ところどころ焼成レンガらしきものが顔を出している。
これは崖ではなく、積み上げた城壁?

     スーサ1 アケメネス朝の宮殿←       →スーサ3 博物館

関連項目
スーサの出土品2 エラム時代の略奪品
スーサの出土品1 釘頭状壁面装飾はエラム
ペルセポリス2 ダリウスの宮殿からハディシュ

※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館