お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年10月23日月曜日

ターキブスタン(Taq-e-Bustan) サーサーン朝の王たちの浮彫


ビストゥーンとターキブスタンは割合近い。その間のケルマンシャーという町からの道路との交差点には、事故車が置かれていた。イランでは交通事故が多いので、注意を喚起するために、潰れた車を置いて注意を喚起しているのを時々見かけた。
ターキブスタンの町に着後昼食。
いつものニンニク入りヨーグルトに、珍しい炭酸入りドゥーフ(ヨーグルト・ドリンク)、そして薄いパン。
それぞれの町の名物を食べましょうというガイドのレザーさんの配慮で、これまで色々な料理が出てきた。そして、本日のケルマンシャーの名物料理は、羊の内臓のケバブだった。
その後歩いてサーサーン朝の遺跡へ。

ターキブスタンは、岩壁の表面に浮彫されているのではなく、イーワーンの内壁に浮彫がある。
『世界美術大全集東洋編16』は、イラン北西部のケルマンシャー市の北郊の山麓にターキ・ブスタンと呼ばれる遺跡が存在し、そこにササン朝第2、第3期の彫刻が現存する。
ターキ・ブスタンのもっとも新しい摩崖浮彫りはパルティア時代以降、宮殿や神殿の建築に多用されたイーワーン形式の建物を岩壁に彫り込んだ大きな洞窟に見られるという。
その前に大きな池。

近づくと少しは中の様子が見える。

大洞 帝王叙任式と騎馬像 ホスロー2世(在位591-628)またはアルダシール3世(在位628-630) 7世紀前半 縦8.9幅7.5m
同書は、正面の最上部には矢狭間を設け、アーチを支える2つの柱には空想的な植物文様を施し、正面壁の上端には勝利の女神ニケ像を1対配している。アーチの縁には野生のチューリップと糸杉などからなる装飾文を施している。という。
切石積みのところは修復。
ナクシェ・ロスタムやラジャブ、タンゲーチョウガンなどではサーサーン朝前期の浮彫を見てきたが、これはサーサーン朝末期のものだ。
同書は、ニケはゾロアスター教ではファニンドという。
ファニンドの上衣とスカートの衣端はアケメネス朝期のようには整然とした襞の重なりではなくなり、曲線的になっているが、それでも襞山を左右突き合わせた箱襞が並んでいる。
ファニンドが右手で持つディアデムは2列に珠が並び、付属のリボンはサーサーン朝前期のものと比べて柔らかな布が風に靡く表現となった。左手で高台を支える金属器には、こぼれそうなほど小さな粒が盛ってある。これは一体何だろう?
また、ファニンド自身もディアデムを付けている。
イーワーン頂部にはおそらく三日月と思われるものがリボンの上に飾られる。
アーチの縁の文様帯もよく残っている。外側は「野生のチューリップ」。内側は、両端から整然と並んだ「糸杉」の文様が、頂部の四弁花文を支えている。
「糸杉」の文様帯の下から出たリボンが翻って。末端が上を向いている。その僅か上に、ニケの裸足の右足が残っている。
イーワーン両脇には、力強い植物が左右対称に表されている。これは生命の樹を表したものと考えて良いだろう。
生命の樹についてはこちら
内部
同書は、奥壁は2段に分けられ、上段には帝王叙任式図、下段には鎖帷子で身を覆い、円形盾と長槍を持つ重装騎兵を描写しているという。
上段
同書は、3人の人物像が配されているが、中央が帝王、向かって右が城壁冠をかぶったアフラ・マズダー神、左が「アーケード冠」をかぶったアナーヒーター女神で、二人の神による王権神授を表している。アフラ・マズダー神は左手でバルソムを持っているようであるが、それは欠損している。アナーヒーター女神は左手に水差しを持っているが、その注口から聖水が流出している。両神はそれぞれ、リボンのついた環を帝王に授与しようとしている。帝王は大型の真珠を多数飾った豪華な衣服を着て剣を帯びている。その王冠は城壁冠であるが、正面に三日月をつけ、左右に1対の鳥翼を施している。その上にさらにもう一つの三日月装飾がつき、球体装飾を戴く。このような形式の王冠はホスロー2世(在位591-628)とアルダシール3世(在位628-630)の王冠に似ている。また、この帝王の首飾りには3個のペンダントがついているが、そのような首飾りはアルダシール3世のコインの胸像にのみ見られる。また、ササン朝の帝王の鬚は巻き毛で表されるのが常であるが、この帝王の鬚はそうではなく、細い線で描写されているので、筆者は未成年の男子を表していると思う。とすれば、4、5歳で即位し、まもなく殺害されたといわれるアルダシール3世の肖像と解釈するのがもっとも妥当と思うが、通説ではその父のホスロー2世像といわれるという。
王は文様の浮き出た長衣を身に着けている。左手で下向きに持つ長剣は地面に達していない。アフラマズダ神は長衣の上からふんわりと裾が膨らむコートを身に着け、アナーヒーター女神はコートに腕を通さず、肩にかけている。
同書は、馬も鎧で覆われている。このような外観は当時のササン朝のクリバナリウス(clibanarius)とラテン語で記された重装騎兵をモデルとしたものであるが、頭の周りには円形の光背(この世とは異なる世界を象徴)がつき、騎馬像が葡萄唐草文(永遠不滅の象徴)と柱で縁取られた内側に表現されているから、上段に描写された帝王の永遠不滅の本質、ゾロアスター教でフラワシと呼んだ永遠不滅の霊魂のようなものを造形化したものであろうという。 
アップすると両端の柱と柱頭が消えてしまったが、柱頭が葡萄唐草文になっているのだろう。馬の頭部から胸にかけて浮き出た文様があるのは、鎧だろうか。

同書は、左右の壁にはそれぞれ帝王猪狩り図と帝王鹿狩り図を浅浮彫りしている。その彫刻は細部を克明に描写したものであるという。
それについてはこちら

小洞 シャープール2世とその右側に3世像

『世界美術大全集東洋編16』は、筒形天井を有するイーワーン式建物を模した彫り込んだ洞窟(龕)の奥壁に浮彫りされ、その左右に刻まれたパフラヴィー文字銘から国王の名が特定できたまれな例であるという。
シャープール2世は在位309-379年、タンゲーチョウガンでは正面向きの像が、ナクシェ・ロスタムでは騎馬像が残されている。
シャープール3世はその息子で在位383-388年。
大洞よりもずっと前に、このようにイーワーンを掘り進んで、奥壁に浮彫するということが行われていたのだ。
2世は城壁冠、3世は鳥翼冠
これがパフラヴィー文字。

アルダシール2世(在位379-383年)の王権神授図
シャープール2世と3世の間に在位したのがアルダシール2世。
『世界美術大全集東洋編16』は、中央にアルダシール2世、向かって右側にアフラ・マズダー神(またはシャープール2世との複合像)、左側に太陽神ミスラ、足下にローマ帝国の背教者皇帝として著名なユリアヌス2世(在位360-363)の死体が描写されているという。
説明板は、右に立つアフラマズダ神から、王位の継承にディアデムを受け取るアルダシール2世。王の後ろ側にいるのは蓮華の上に立つミトラ。ミトラはバルサムを手に持つという。
三者とも行縢(むかばき、米語はchaps)を着けている。 行縢は、シャープール1世(第2代、在位241-272年)の戦勝図(ナクシェ・ロスタム)頃から身に着けている。脚を護る羊の毛皮かな、などと見ているが、素材は不明。その襞は、この図では形骸化してしまっているし、王冠やディアデムに付属するリボンは固い素材のよう。
ユリアヌス2世 の哀れな姿。
ローマ皇帝は、他にゴルディアヌス3世(在位225-244)がシャープール1世の馬の足下に横たわる図がある。

その後100㎞余り北にあるサナンダージへ向かう。
独特の窓のある住宅が並ぶ町を過ぎ、

どこかの町に入ってロータリーを回り、
その町から離れ、
円塔を遠くに眺め、
今まで見てきたイランの山岳地帯からすれば、なだらかで木々の緑もあるやまの風景を見ながらの移動。

やがてクルディスタン州の州都サナンダージへ 。
そしてホテルへ。
ロビーには、クルド人の民族衣装を着たマネキンが置いてあった。
3つもベッドのある広い客室
一体型のシャワールーム。カーテンもなく、排水口は洗面所の床にある。
夕食はも定番のニンニク入りヨーグルト、オリーブの漬物(とレザーさんは表現)に加え、様々な野菜の前菜は好みで盛り付けられる。
メインは海老のケバブ。そしてスイカとメロン。
食後ホテルの裏庭に出て、町を眺めた。
そこには屋根付きのソファが幾つかあって、クルド人が家族連れで憩っていた。

  ビストゥーン 碑文と建物←      →ゼンダーネ・スレイマン

関連項目
ターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文
サーサーン朝 帝王の猪狩り図と鹿狩り図
ササン朝ペルシアの連珠円文は鋲の誇張?
サーサーン朝の王たちの浮彫
生命の樹を遡る