お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年1月16日日曜日

5-5 パンテオン(Pantheon)でドームを見上げる

パンテオンで確かめたかったのはドームの大きさだった。
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルのアギア・ソフィア(アヤ・ソフィア)は6世紀半ばに再建され、巨大なドームが架かっている。直径が31m、高さは55m(『地中海紀行ビザンティンでいこう!』より)もある。ずっと後の時代にバチカンにサン・ピエトロのドームが造られるまでキリスト教教会のドームとしては世界一だったと何かで読んだ。
ところが、アヤ・ソフィアよりも大きなドームが、古代ローマ時代、しかも2世紀初頭に造られ、今もローマに残っているというので、いつか見てみたいと思っていた。

『ローマ古代散歩』は、プロナオス奧の青銅の扉を経て、古代そのままの荘厳な空間に足を踏み入れてみよう。天井のオクルス(目という名の直径約9mの開口部)から射す光が堂内を明るく照らしているという。
中で上を見上げても目の妨げになるものは何もない。完璧な半ドームには非常に規則正しく刳り型が並んだ格天井だ。
オクルスを撮ろうとしたので内部が暗く写ってしまったが、決して薄暗い空間ではない。明るさで言えば、アヤ・ソフィアよりもずっと明るいだろう。
『ROMA』は、壁造りとしては史上最大のクーポラは、直径が43.3mある。このクーポラは、格天井のような骨組みにコンクリートを一気に流し込む形で造られており、重さを軽くするために火山岩滓が混ぜられている。
内部は、円筒形に半球の屋根をつけたような空間の不動で包み込むような広さを感じさせるという。
このドームは何層かに石を刳って重量を軽減したものを積み上げたと思っていたのだが、石ではなくコンクリートでできているのだった。ローマン・コンクリートと呼ばれているものだ。
アヤ・ソフィアのドームとパンテオンのドームの違いは、前者は四角い平面から円形のドームへと移行していて、後者は円形の平面からそのまますぼまってドームになっていることである。技術的にはパンテオンの方が無理がないだろう。
『ローマ古代散歩』は、直径43.3mの球を内包するという広大かつ完璧なプロポーションをもつ円形の無柱空間は他に比類がないという。
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、パンテオンの神室は、内部直径43.8mの円形平面で、ドームの屋根が架かり、床面から頂部までの高さも同寸法である。つまり43.8mの球体が内部にすっぽり収まる内部空間を成している。パンテオンの建築上の大きな特徴はドーム建築を神殿に用い、かつ、内部に完全な球体が収まるという幾何学的単純さにあるという。
内部にいて直径43mを越える球がこの空間に収まるという風には思わなかった。2段目までのコーニスよりもドームの方がずっと高く感じた。
(①から⑤の数字は格間の凹み)
写真では石に見えたこの格間は、実祭に見上げると、コンクリートだということがわかった。そしてそれは現代の素っ気ないコンクリートとは受ける印象がまるで違う。高い質感が感じられる。
これだけアップに撮しても、格間の4段階の刳り型の角の一つさえ欠けていない。
パンテオンの円堂部の軀体は、煉瓦を両側に積み、その内側にコンクリートを充填し、大理石材を内装材として用いている。この巨大な内装空間を生み出すために、当時の最高の工学と建設技術が駆使されている。
円堂の軀体は基礎から頂部まで6つの水平な層に区分され、それぞれ異なる材料がコンクリートの骨材に用いられている。つまり、上にいくほどより軽い構造とすることで、構造的により安定した建物を造り出しているのである。さらに、コンクリート壁を横断する煉瓦の層が1.5m間隔で配置され、外側と内側の煉瓦壁を緊密に結びつけることにより、壁体をより堅牢なものにしているという。
古代ローマの土木技術の素晴らしさという他はない。しかしながら、このような高度な技術は西ローマでは帝国の滅亡と共に失われていった。
ずっと後に、ミレニアムで世界の終末を迎えなかったことからキリスト教の信仰が盛んになり、大量の信者を収容する大きな教会が必要になった。それで各地に建てられるようになったのが1000年-1200年頃で、それがロマネスク様式の建築だが、今日見てきた古代ローマ時代にはごく普通に造られていたアーチさえ、10世紀を過ぎた西ヨーロッパではなかなか造ることができず、教会の建設中に崩れてしまうことも度々あったと、タイトルは忘れてしまったが、ロマネスク様式に関する本で読んだ。
それほどパンテオンなどが建てられた時代の建築水準が高かったことが、このドームを見上げていても頷ける。
(①~⑤の数字は格間の凹み)
午後1時前なので、北よりも幾分東に光が入っている。
それで、アヤ・ソフィアとパンテオンのどちらが大きく感じたかだが、パンテオンにいる間、アヤ・ソフィアのことは思い浮かばなかったのだった。

※参考文献
「地中海紀行 ビザンティンでいこう!」(益田朋幸 1996年 東京書籍)
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)