お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年10月22日水曜日

閑谷学校の石塀は唐風というが


閑谷学校は岡山県備前市の山間にある。

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行くとまず目に付くのが石塀だ。今回その次に目に入ったのは、左向こうにある緑の小山だった。あんなところに古墳が! 閑谷学校の石塀は、よく「唐様の石塀」と言われるが、少しばかり行ったことのある中国では、このような形の塀も、石塀も見たことがない。
しおりによると、校地を取り巻いている石塀の長さは、765mに及びます。南側と東西の石組みは「切り込み剥ぎ式」と呼ばれる精巧なものです。このような構造物は他に例がないという。塀の上が丸くなっているのがいつも印象に残る。 珍しいのは楷樹。説明に、中国曲阜の孔子林の実を育て移植されたものと伝えられ秋の紅葉が特に美しいとある。唐風の石塀は曲阜か、孔子林にあるのかも。
上の方が少し色づいていたが写真ではその色が出なかった。 楷の木は中国の樹木ということで、いつもじっくりと眺めるが、その背後の聖廟は初めて見学した。孔子像をまつる大成殿があって、板塀のちょっと変わった建物で、中は真っ黒で孔子像は見えなかったが、なんで閑谷学校に中国の木があるのかがやっとわかった。 そして国宝の講堂。閑谷学校は、初めから庶民の学校・地方のリーダーを育てる学校として、寛文10年(1670)に創建されました。  ・・略・・ 現存する、庶民を対象とした、学校建築物、としては世界最古のものと言われています。今でも研修生が講堂床に正座して論語の一章をそらんじあい講釈を受けるという、「講堂学習」の風景に接することがあるでしょうというように、閑谷学校は儒学を学ぶ学校だ。  内部は板張りで、火灯(かとう)窓から入る光が反射している。いつ来てもピカピカに磨き込まれている。 講堂の向こうには古墳に見えた山があった。人工で築かれたものです。丘の西には学舎や学寮がり、平生の勉学や生活はこちらで行われていました。もし火が出るようなことがあっても絶対に東には移らせないとしたためという。 やっぱり一番気になるのは石塀。端はこんな風に造られている。一般的に塀の内部には土を詰めるが、雑草が生えないように、閑谷学校の石塀は土は入れていないという。 紅葉の頃にまた行きたいが、ものすごい人手らしい。

※参考文献
「特別史跡旧閑谷学校のしおり」(財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会)