自分の古い記事に『世界遺産を旅する12 エジプト・アフリカ』という本のサッカラのネクロポリスという地図を載せていた。1999年の発行なので、現在では遺跡の発掘はもっと進んでいるだろう。
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| サッカラのネクロポリス 世界遺産を旅する12 エジプト・アフリカ |
平らなところには規模の大きなものも。
瓦礫のようなウセルカフ王のピラミッド(第5王朝初代、前2494-)
やっとジェゼル王の階段ピラミッドが目に入った。東面と北面。
砂が溜まっているが周壁も❶石造だったという。
この間から直接階段ピラミッドの近くまで行けそうだがそうはいかない。チケット売り場からの通路は列柱廊の入口に繋がっている。
この間から直接階段ピラミッドの近くまで行けそうだがそうはいかない。チケット売り場からの通路は列柱廊の入口に繋がっている。
➊周壁 ➋入口(現在ではここからしか入場できない) ➌列柱廊 ❹中庭 ➎セド祭のマーク ❻ジェゼル王のピラミッド(第3王朝2代目) ➐セド祭の中庭 ❽南の礼拝室 ❾北の礼拝室 ❿セルタブ ⓫葬祭殿 ⓬内部への入口 ⓭石棺の竪坑への通路 ⓮地下貯蔵庫 ⓯ウセルカフ王のピラミッド(第5王朝最初) ⓰ウナス王(第5王朝最後)のピラミッド
❷入口
壁面には縦にまっすぐな刳りが整然と並んでいて、メソポタミアの建物に似ているが、以前来た時のガイドさんは「原初の水から陸が出現したところを表している」と言っていた。それだけでなく、地下の青いファイアンスタイルが有名ですが、この壁面にも当初は青いファイアンスタイルが貼り付けられていました。ところどころ四角い凹みがありますとも言っていた。
確かにタイルの形の凹みがあった。それについてはこちら
入口から入った通路は狭く天井には丸太が並ぶ。左右の壁面が人が写っていて、別世界へ入って行くみたい。
半ばほど進んだところだったか、左右に台座のようなものがあった。この近くの右側に偽扉があったかも。
列柱廊から続く石壁は
偽扉についてはこちら
前回は修復中で近寄れなかったが、今回は修復も終わって、全体が何の隔てもなく見ることができた。
入口を出たところで振り返ると、扉があった痕跡が。
扉の軸受けだが穴がないのは復元品のため?
中庭から振り返ると、列柱の両端が円柱のようになっていた。
『ANCIENT EGYPTIAN ARCHITECTURE IN FIFTEEN MONUMENTS』(以下『AEA』)は、これはサッカラにあるピラミッド型葬祭複合体の中で最大規模のもの。歴史上初の大規模な石造建築物とされ、王墓の概念が完全なピラミッド型へと進化していく過程における重要な段階を象徴している。
この重要な建造物の建築家は、ジョセル王(前2700年頃)の宮廷で高官を務めたイムホテプだった。イムホテプはまた、メジェブケシュト(medjeb-qestj、彫刻家の監督者)でもあり、これが彼が石材加工に長けていた理由かもしれない。
階段状の構造物は、長さ545m、幅278mの巨大な長方形の複合施設の中央に立っているという。
また、吉村作治氏は『吉村作治の古代エジプト講義録上』(1996年)で、階段ピラミッドはマスタバを積み重ねたものと言われているが、メソポタミアのジッグラトが起源ではないか。イムホテプはメソポタミア出身で、ジッグラトを建てる技術を持っていたのではないかというような説を唱えられていたが、現在ではマスタバ説が定説となっている。
エジプト通の添乗員氏にその話をすると、イムホテプがメソポタミアから来た人物であれば、エジプトの宰相になれたとは思えませんという明快な回答だった。なるほど🕵️
ジェゼル王の階段ピラミッド立面図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
やがて切石の等間隔の壁面に変わって、
その建物群に近づくと、左手には別の遺構があった。
同書は、イムホテプはジョセル複合施設の設計において、それ以前の時代の建築様式を参考にしている。例えば、壁龕で区切られた囲い壁は、アビドスの囲い壁とよく似ているが、形状はやや異なり、より要塞化されている。神々を祀る礼拝堂は、先史時代の建造物、特にペルウェルをはじめとする同種の建造物の形状を模倣している。リッケは、ジョセル複合施設の建造物が、先史時代および初期王朝時代に木材と日干しレンガで建てられた建築様式を、石材で忠実に再現したものであることを詳細に明らかにしたという。
ふ~ん。ペルウェルについては何時か忘れへんうちににて。
円柱の付け柱のようなものはともかく、先の尖った2本の柱は何?
説明パネルは、セド祭は、王の活力を回復させ、統治権を更新することを目的とした王の即位記念の祭礼だった。この祭りの間、王は王国の境界を象徴する標石の周りを走る儀式を行った。その標石は南の広場に見ることができる。
東側にあるセド祭の広場には、上エジプトと下エジプトの典型的な神殿の形を模した礼拝堂が並んでいる。ジェセル王のセド祭の広場にあるこれらの礼拝堂は石造りで、内部空間のない建造物。王の存命中にセド祭へ参列するために上・下エジプト各地から集まった神々は、本来であればこれらと同様の形をした、木や葦などの有機素材で造られた神殿に祀られていたはずだ。
セド祭の主要な儀式の一つに、上エジプトと下エジプトを象徴する一対の玉座が置かれた壇に王が登るというものがあった。
二つの階段を備えたその基壇が、広場の南端に残っている。ピラミッド複合体の中に石造りとしてセド祭の広場を永遠に残すことで、ジェセル王はすべての神々の立ち会いのもと、自らの王権を永遠に更新し続けることができたという。
一対の玉座というのはしっかりと見ていなかったが、玉座へと導く白い階段は特別なものだったのだ。「内部空間のない建物」って内部も石材が詰まっているということ?
外から見えたものがこの建物群だった。
この続きの建物も外から見えていた。
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参考文献
「世界遺産を旅する12 エジプト・アフリカ」 1999年 近畿日本ツーリスト
「吉村作治の古代エジプト講義録上」 吉村作治 1996年 講談社+α文庫
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫編 1998年 河出書房新社
「ANCIENT EGYPTIAN ARCHITECTURE IN FIFTEEN MONUMENTS」 FELIX ARNORD 2022年 The American University in Cairo Press





































