ピラミッド群のあるナイル西岸の段丘から見たカイロ側の景色はだいたいこんな感じ。霞んでいるのは空気が悪いから。
セラペウムはギザのピラミッド群(第4王朝期)からは南南東に13㎞ほどで、右前方に見えるアブシールにある三つのピラミッド(第5王朝期)はセラペウム寄りにある。
まず入口からまっすぐに進むと、片側に墓室があると反対側にはなく、交互に穴が穿たれ、そこに巨大な石棺が安置されている。
さっきのと同じ黒御影石?表面に光沢があるわ。
これも黒っぽいけれど、光沢がないわ。
一番大きな石棺は墓室に入らなかったのか、通路に置いてあったので、周りを一回り。
これも光沢があって、人が写ってるわ。
身より蓋が小さ過ぎ
線刻のヒエログリフ
蓋がずらしてあった。
玄武岩の石棺
どんどん戻っていく。
脇道に入ると、
突き当たりの墓室は空。
右に曲がると奥が暗い。
それはこの大きな石棺のせいだった。
その向こうは壁面に陽刻のヒエログリフがあちこちにあった。解読されているのだろうか。
そして現れたのは最初の棺の蓋。これで見学終了。
カイロ近郊のピラミッド群 Google Earth より
❶メンフィス博物館 ❷階段ピラミッド ❸セラペウム ❹アブシールのピラミッド群 ❺ギザのピラミッド群 ❻大エジプト博物館
現地説明パネルによると、
セラペウム 聖牛アピスの地下墓(前1550-前30年頃)
サッカラ遺跡は、聖なる動物のネクロポリスとして知られ、数千ものミイラ化した動物が地下墓に埋葬されている。
アピスは、主神プタハを祀るメンフィスで崇拝されていた。この聖なる動物はオシリスと同一視され、不死の神オシリス=アピスとなった。古代ギリシア人はこの名前を短縮し、セラピスと名付けた。一度に崇拝されたのは一頭の牛だけで、死後、メンフィスでミイラ化され、サッカラの地下墓に花崗岩または玄武岩製の巨大な石棺に納められて埋葬された。最大の石棺は70トンもの重さがある。
セラピウムの建設は、第18王朝のアメンホテプ三世の時代に個別の部屋で始まった。その後、第19王朝から第25王朝にかけて、両側に埋葬室に通じる通路へと発展し、そこに聖なる牡牛が埋葬された。第26王朝のプサムティク一世は通路を拡張し、同じ構造はプトレマイオス朝時代まで続いたという。
この遺跡はジェゼル王の時代よりもずっと後のものだった。
セラピウムからは24個の石棺が発見された。マリエットが完全な状態で発見した1個の石棺を除いて、すべて古代に略奪されていたという。
下図には24以上の墓室がある。自分の写真がどの墓室のものか下図で特定を試みましたが挫折しました😓
中に入ると左側に右前の角が欠けた巨大な石棺の蓋があって、その奥にはアーチの中に石棺があるのが見えた。
振り返ると小さな壁龕のような凹みが並んだ壁面、 その途中の左手には通路のようなもの、そして手前に棺の蓋。
引き返して現代の修復によるアーチで補強された通路の方へ。床は木製で、石棺や墓室だけ残ったものと壁面が互い違いに並んでいる。
これは小さい方で、棺の蓋と身の角が面取りになっている。出入口に近い方が古いのかな?
蓋にこんなヒエログリフが。横向きのカルトゥーシュは牡牛のいるものだが、誰のものだろう?
少し進んで入口側を振り返る。数段ずつ低くなっている。奥右側の突き出して置かれた石棺は蓋ではなく身だった。最初に見た棺の蓋の身?
次に見た石棺は蓋と身が残っている。蓋には平たい屋根のような細工がある。
歪な棺の蓋は盗掘者に割られたのだろうか。ピントも合ってないし、石棺もよく写してないのは、棺より墓室の天井を写したかったんだと思う。
年代に開きがあり過ぎるが、日本の石棺の場合は繩掛突起という縄を掛けるために削り残した突起がある。
がっしりした補強の金具。
日本の
墓泥棒が割った跡
穴の修復が終わるまで石棺は移動しているのか、それとも盗まれたのだろうか。
こんもりと高い棺の蓋は黒御影石?
身より蓋が小さ過ぎ

それはこの大きな石棺のせいだった。
外に出ると、どとこを彫っても遺跡がありそうなところだった。
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現地説明パネル















































