お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年5月23日金曜日

2日目-5 芬皇寺(プナンサ 분황사)で模磚塔を見る


皇龍寺址から戻ってきて、お寺の塀と小さな建物の間に自転車を置こうとしていたら、建物の中から女の人が出てきた。 
芬皇寺の説明をしますか?
ここに自転車を置いていいですか?
いいですよ。向こうでお寺の入場券を買って中に入っていて下さい
無料のガイドがいるとは知らなかった。入場料は1.000Wx2。中に入るとすぐに塔がある、10:00。
この塔は石を磚、瓦みたいに焼いたものですね、のように積み上げて造られています
芬皇寺の塔は模磚塔というのは知っていたが、写真で見ると割石を積み上げているのがよくわかった。しかし、実際に見ると、非常に磚に近い質感だった。仁王さんが扉の両側にいて守っています
四方にこのような扉があり、それぞれ異なった仁王が守っていた。この南側の龕室の中には石仏がぼんやりと見えるが、何もないところもあった。そして基壇の四隅に動物がいます。西側の2頭は獅子ですが、東側の2頭は獅子と違います
これやね。足の先がないけどしっぽはあるけど獅子でないのは確かやね西の方には獅子がいる。2体で作風が違うが、仏像と一緒で頭部の小さい方が古そうだ。
武井氏の慶州へ行こうの芬皇寺で、四方角を狛犬(韓国では海駝(해태:ヘテ)という)と海獣がまもる。狛犬は高句麗を、海獣は日本からの賊の侵入から国を守ることを願ったものともいわれるという。
現在は塔頂部に相輪はない。山形の石が置かれていて、浮彫のぐりぐりが見える。1915年に解体修理されて今の形になりましたが、もっと高く、五層か七層あったのではないかと言われています。何故かというと、向こうの塀の方に石がたくさん残っているからです
なるほど、境内の南東隅に積み上げてあった。磚を模した石材の山近くに礎石がたくさん置いてあった。皇龍寺にも金堂が3つありましたが、芬皇寺にも金堂が3つありました
芬皇寺の金堂は、皇龍寺みたいに金堂が3つ並んでいたのですか?
いえ、塔を囲むように3つの金堂が立っていました
日本の飛鳥寺と一緒ですね

『慶州で2000年を歩く』で武井氏は、芬皇寺は皇龍寺の北隣につくられた寺である。善徳女王の634年に創建された。新羅時代、芬皇寺はかなり規模が大きく、国にとって重要な寺だった。 発掘の結果、今よりも規模が大きいだけでなく、今も境内に残る模磚塔を中心として3つの金堂が取り巻いていたこともわかった。高句麗の寺や日本の飛鳥寺と同じ形式であるというが、他に皇龍寺と同じく3金堂が横に並んでいたと書いてあるものもあったので、確認したかった。

南塀にそって円座を作り出した礎石が並んでいる。芬皇寺は廃寺ではない。今はいつの時代に建てられたものか、金堂があるのだが、金堂は東を向いたこぢんまりした建物だ。「普光殿」という扁額があがっている。
韓国で今一番信者が多いのはキリスト教と言われているが、仏教徒も残っている。そういう人は熱心にお参りしているので、中がどんなんかちょっと入ってみようという雰囲気ではない。 境内を歩いていると牡丹が咲いていた。その横に石燈籠と石仏が置いてあるが、どちらも地中にだいぶ埋まっているようなバランスやね。鼓楼があったかどうか記憶にないが、鐘楼というより鐘があった。
床すれすれに吊ってあるね
韓国の梵鐘は上のどこかを抜いてつくってあるので音がええらしいで
この木魚気に入ったわ。ものすごい顔やなあ。歯も1本1本つくってあるで


※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)