お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2008年5月22日木曜日
2日目-4 皇龍寺址を南門まで
九層木塔址から南を見ると、他に人はいなくなっていた。中門と南門が遠くに見える。中門は幅23.45m奥行き8.3m面積200㎡。結構な広さです。その両側に南回廊。やっと中門まで来た、9:44。横に礎石が6個並ぶので柱間(はしらま)が5間。法隆寺の中門より1間多い(間隔は不明)。これは金堂が3つあるのと関係があるの?
向こうに礎石より大きい石があるわ近づくと礎石よりずっと大きく、枘穴が2つあった。
それはもう撮ったよ。向こうにもあるよ確かに台座が2つある。きっと仁王像があったのだろう。しかし、5間の中央を通る者からは仁王さんが遠くて、威嚇されているのもわからなかったのでは。それとも中央は新羅王しか通れなかったとか。ゆっくり見ていたらおっちゃんは南門へ行ってしまった。南門は幅17.8m奥行き4.9m面積87㎡。私も南門へ。こちらの礎石は四角い石に円座が作り出されているが、山田寺のような蓮弁は見られない。南門には塀があったらしく、幅の狭い盛り上がって残っている。版築やったんかな。こっちの礎石は円座がくぼんでいる。
向こうも何かあるよ木の下で人がなにか作業をしている。
ラジコンのヘリを飛ばすつもりらしい
のんびりと眺めていたいが時間がない。そしてこんな石材を集めたようなところに皇龍寺と彫った石碑があった。発掘調査で出土した石材をまとめて置いてあるのだろう。ずっと向こうに見えた三層石塔は味呑寺址のものだった。右端の人と比べると大きさがわかります。「慶州へ行こう」の皇竜寺近辺の寺跡に、味呑寺(미탄사:ミタンサ)址とされている。塔は、その規模や作りなどから9世紀、新羅が滅亡する直前のものと考えられているという。南門から折り返して芬皇寺へ。塔と中金堂の間の道に自転車を置いたままなので、そこまでは歩きです、9:50。
※参考サイト
慶州へ行こうの皇竜寺近辺の寺跡