忘れへんうちに 旅編
お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は
忘れへんうちに
に記事をのせます。
2008年5月24日土曜日
2日目-6 菜の花畑に芬皇寺の幢竿支柱(タンガン 당간)
幢竿が菜の花畑にあるらしいよ。ちょっと行ってみよう
さっき皇龍寺址への通路に人がたくさん出入りしていたところから行けるようだった。
2本の石柱に各3つ穴があいている。どのように使ったのか見当が付かないがKorea Templeの
仏教文化観光
に七長寺幢竿の記事があった。そこでは2本の石柱の間に金属製の幢竿が残っていて、
旗をつけた寺で儀式を行うときに旗を掲揚するために使ったもの
という。
支柱の間に亀がいた。顔は犬のようで、口髭があるが、残っている左腕が短いし、首がない。それに背中に一列亀甲文が並んでいる。
後ろは右側に甲羅の丸みが残っている。
そして幢竿の台の端に亀甲文が並んでいる。
『慶州で2000年を歩く』によると、
少なくとも新羅時代までは幢竿支柱のある場所までは寺の敷地だった
ようだ。
善徳女王は、代々建立を続けてきた皇龍寺の北側に、こんなに隣接して芬皇寺を造営しなければならなかったのかなあ。
※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
※参考サイト
Korea Templeの
仏教文化観光
の七長寺幢竿
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