お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年5月27日火曜日

2日目-9 国立慶州博物館(クンニッキョンジュパンムルグァン 국립경주박물관)へ


堀仏寺址の四面石仏を見た後、ガイドブックを作成中は、慶州駅前に出る道を通って街中の古墳群を見て、サムパブ(サムパブとは野菜でご飯やおかずを巻いて食べる慶州名物らしい)街で昼食という予定にしたが、段々古墳群は最後にしようかと考えるようになっていった。そしてそれを変更しようと決心したのは、昨日街中から普門湖畔のホテルへ向かう車中から博物館が見えた時だった。
11:21、四面石仏を見終わって、元来た道の向こう側を戻って行った。赤信号で止まったのが奥に脱解王陵のあるところだった、11:30。
九黄橋を渡って芬皇寺の傍を通り、バスでは直進した交差点を南へ渡る。ここで気づいたのが韓国の信号は複雑なことだった。十字路で東西は同時に青になるのに、南北は片側だけが青になるのだった。その上歩行者用信号は青の点滅ですぐに赤になってしまったりするので、タイミングがよくわからず変なところで時間がかかったりした。
皇龍寺址は広大すぎてわからなかった。踏切を越えたのは覚えている。そして右側に何か見えた。こんなところに半月城はなかったはず、と思いながら通ったが、地図で見ると雁鴨池だった。 広い道(7号線)との交差点は問題なく渡ることができ、入り込んだのが奥の駐車場だった。


休日とあってたくさんの車が置いてあった。そしてアイスクリーム屋が店を出していた、1つ1.000W、11:50。
とりあえずアイスクリームを食べて、博物館に入ろう博物館に食堂はないのか
この博物館のホームページ見たけど、詳しいことが書いてなかったんよ。あっても軽食とちがう?
国立慶州博物館はハングル文字の국립경주박물관では全くわからないが、漢字とクンニッキョンジュパンムルグァンという発音を比べるとわかりやすい。入場料は1.000W。正門の隅に駐輪場があった。
入ってすぐに右側に建物があり、入ってみるとコインロッカーがあったので荷物を入れた。この博物館には石造美術がたくさんあることは知っていたが、あり過ぎて総て見て回ることは不可能だ。考古館(平面図の本館)に行くまでにも右手にずらりと並んでいた。

ほんの一部ですが、

芬皇寺模磚塔の初層にあった仁王の浮彫板に似たものがあった。こちらは邪鬼を踏んでいるので四天王の内の2体かも。芬皇寺の幢竿支柱は幢竿を支える亀がいたが、この2頭の亀は何を支えていたのだろう。亀趺という記念碑を立てる台があるが、1頭が一般的。 そして、松が数本植わった小山の頂上に三層石塔があった。向こうに見える建物は博物館の正門(考古館の2階より)。 そして小山の右側には石仏が並ぶコーナーがあった。考古館には旧石器時代から古墳の出土品などが展示してあった、13:00。
駆け足で一周して同じところから外に出ると、左向こうに梵鐘があった。聖徳大王神鐘で、エミレの鐘と呼ばれているものだ。説明板によると、製作年代を知り得る韓国鐘のうち2番目に古いものである。美しい形態と文様、天板(笠)上部の蓮華文など細部に至る精巧なつくり、心を打つ音色など、すべてにおいて韓国最高の鐘と呼ぶにふさわしいという。床は磚敷きだ。
芬皇寺の鐘と一緒で低い位置にぶら下げてある
鐘の下が凹ませてあるねそれで韓国の鐘はええ音がするのかなあ その後ずらずらと十二支の浮彫が並んだところを通っていった。これらはある時期から古墳の腰板にはめ込まれるようになったという。十二支から石造の浮彫装飾板に変わってきたところで見えてきた建物が雁鴨池館だった、13:08。
※参考サイト
国立慶州博物館のホームページ
プサンナビの国立慶州博物館

入口から考古館の間にあった野外展示の内、四方仏については慶州博物館の四面石仏はを、考古館前の三層石塔については三層石塔のチブンパッチムは年代の基準となるのかをどうぞ。