お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年7月20日日曜日

7日目-8 国立済州博物館で済州島は昔から豊かだったことを知る

支石墓を見て広い道に出た。済州にある国立済州博物館までは思ったよりも距離があった。途中で居眠りをしてしまい、気がつくと市街地だった。
玄関の前に朝鮮時代の帆船のレプリカが置いてあった、15:57。 面白い外観の新しい博物館。キムさんは中には入らない。内部はフラッシュを光らせなければ撮影可だった。 三陽洞遺跡出土の石剣。薄い層の石で作ってあるものは、それが左右対称の文様のようになっていて、きれいだった。
慶州博物館でもよく似た剣を見たね  高麗時代(9-10世紀頃)の法華寺址出土の瓦。最上段は雲鳳文軒丸瓦、2段目は蓮弁文軒丸瓦、3・4段は軒平瓦で、3段目中央は雲鳳文。時代はわからないが、済州島にはかなり密な多層石塔があるらしい。 高麗時代の耽羅(済州島の古名)と周辺国の交易が表してある。済州島は主に海産物を輸出していたという。特産品のアワビのおかげで、昔から豊かな島で、あちこちから高価な物を輸入していたらしい。特に陶磁器や米は苦労して作る必要性がなかったらしい。 童子石が中央に置かれ、その周囲に陳列棚がある。時代は不明。そして三姓穴の前の祭儀が再現されていた。『Welcome to 済州』は、三神人がここで生まれ狩猟生活を行っていたが、五穀の種と家畜を連れてきた碧浪国の三人の姫を妻に迎えてから農耕生活が始まり、耽羅王国として発展したと伝えられる。朝鮮朝中宗21年(1526年)牧使李壽童が初めて境界石と紅門を建て塀を作り春秋奉祭を初めて以来、歴代の牧使により聖域化事業が成され、現在も毎年春・秋及び乾始大祭を行っているという。  別の部屋には済州島が等高面図で表されていた。 他には支石墓の分布などいろいろと展示があった。早足で見て回って40分ほど。その後はキムさんにホテルまで送ってもらう。そして1日目の代金を支払う、10万W。
では明日は8時半出発です

さて夕食は参鶏湯(サムゲタン)を食べることにした。
ガイドブックに秘苑という美味しい店があるというのでタクシーで行った。 地図ではホテル前の通りを西へ進んで、16号線に左折で入りそのまま直進すると老衝ロータリーに秘苑はあるはずだった。ところが、運転手はすぐに左折し、右折し、また左折し右折するということを繰り返して一向にロータリーにも秘苑にも着かない。
それどころか郊外に出たらしく街の明かりがなくなって直進し出した。いったいどこに行くつもりだろう。ガイドブックを見せながら日本語であれこれ言う。
運転手はNewと言うが、新しい店ではなくロータリーにある秘苑に行きたいのだ。何故かというと、その近くにスーパーがあるので、お土産などを見たかったのだ。
その内に秘苑に到着した。
運転手は店に入り、店の人を連れてきた。秘苑の新しい支店ではなく、郊外に移転したことがわかった、 3.300W。

焼肉もあるね
明日の晩に韓牛の焼肉を食べることになってるし、明日のお昼は済州黒豚の焼肉やから、まずサムゲタンを食べて、足りなかったら焼肉を注文するということにしよう
そうですね、そうしましょう
おっちゃんは牛を食べたかったらしいが、半病人ですから。  結局サムゲタンさえ食べきれませんでした、19.000W。
お店の人にタクシーを呼んでもらったがなかなか来なかった。かなりの郊外やからね。
店の人が我々がいつまでも待っているのを気にして、いろいろ話しかけてきた。
どこまで乗りますか?
ナムソウルホテルです
すると秘苑の名刺とホテルのパンフレットをくれた。
ザ・ホテル・ベガス&カジノという名前に変わりましたよ
えー、また変わったの?そういえばホテルの前でクレーンが動いていたのは看板の付け替えをしていたのだ。ガイドブックにはクラウン・プラザ・ホテル&カジノになっていて、その前が南ソウルホテルだったのだ。よう名前が変わるホテルやなあ。しかし2代前の名前で呼ぶ方も問題かも。
帰りの運転手はそんなに右折左折を繰り返さずに、新済州ロータリーからホテルへ、3.100W。
昨日ホテルで買ったパンは大量にあるので明朝もパンを食べることにした。25で飲み物を買った。
ちょっと散歩しよう。ホテルの周りを歩いてから戻ろう
昨日食べたアワビの店の前を通り、中程に来た辺りにホテルの裏口があった。
ここから入ろう
入るとどうもカジノに通じる入口だったようだ。いつも使うエレベータにたどり着いた、やれやれ。

※参考文献
「Welcome to 済州」(2005年 済州特別自治道観光協会)