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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年12月16日火曜日

グーグルアースで南疆鉄道を辿る1

海抜0mに限りなく近いトルファンと鉄道の吐魯番駅はだいぶ離れている。ウルムチに至る高速道路をしばらく進み、やがて右折して北上し、かなりの直進後右折・左折(線路をくぐる)・左折・左折で吐魯番駅に到着した。駅の建物がみえたと思ったら、ハミ瓜などがそこら中にゴロゴロ転がっていてそれに気を取られていたらすぐに駅に着いてしまった。吐魯番駅は大河沿鎮という町にある。トルファンの町との標高差はかなりあったのではないだろうか?
このあたりは赤茶色の土地に緑青色の縞があり、その上を流れる水の筋が無数にあるというものすごいものだった。その中を高速道路が通っているのだが、車の中からみた景色はただのゴビ灘で、そんな色彩ではなかった。広々とした中央分離帯がやがてすぼまる手前で右に折れ、吐魯蕃駅へと北北東に進路を取っていた。直線距離で32㎞ほどある。


ウルムチから来た列車に乗り込む。我々は二階建て寝台車の下の方だった。窓は右側にある。

18時14分(北京時間)発。最初列車はS字状カーブを描きながら進み、それからはあまり高低差なく進んでいったように思う。10分ほど走ると手前の低い山の間にオアシスらしき色が見えた。トルファンだろうか。
グーグルアースで見ると、そんなに時間がたたないうちにトルファン・ウルムチ間の高速道路を越えるかくぐるかしたはずだが、記憶も写真もない。右手には高い山が視界を遮っていたが、それが段々と低くなってきて、線路近くが盛り上がっているような妙な地形のところにきた。1980年に放送されたNHKの『シルクロード絲綢之路 第5卷天山南路の旅』によると、トルファンから1時間、30㎞余りの地点で、「老風口」と呼ばれる強風地帯を通過する。
老風口とは、天山から吹き下ろす風が、山の間を通り抜け、砂漠に吹き出す、風の通り道である。シルクロード沿いには、各地に老風口と名付けられた地点がある。南疆定着道のこの老風口では、天山の雪解け水を集めて流れる白楊河の川沿いに、天山颪の強風が通り抜けていくのだ。一年中絶えることなく、強風が吹き付けている
とある。
ゴビ灘の砂を天山側に盛り上げて、防風壁が作られているのだそうだ。そういうところを横断していたのだ。白楊河というと、ウルムチ・トルファン間の高速道路沿いに流れていた川だった。グーグルアースで見ると、両側の山が途切れて扇状地になったところで、高速道路は東に向きを変え、白楊河は南西へ向きを変えている。鉄道はこのあたりで道路をくぐっていたようだ。そのうちにまた右の山が高くなってきた。小さな集落があった。グーグルアースではひょっとしてこれかなというオアシスもあったが、名前はわからなかった。そして山越に天山山脈の雪を頂いた峰々が見えてきた。グーグルアースには雪山はたくさん写っているので、どの山が見えたのかわからない。ガイドの丁さんが夕食に誘ってくれ、食堂車に行った。食堂車は左側の窓も見えた。やがて魚児溝(ユイアルゴー)駅に着いた。同書によると鉄道建設のために生まれた町らしい。この駅を出発したのは20時19分だった。

駅を過ぎると、列車はS字状カーブを描きながらどんどんと高度を上げだした。いよいよ天山山脈へ入るのだ。 
グーグルアースではS字状カーブがよくわかる。

このゴビ灘の東の向こうにトクスンオアシス、その向こうにトルファンオアシスが広がっている。

※参考文献
「シルクロード絲綢之路 第5卷天山南路の旅」(1981年 NHK出版)