トルファンの町は想像したよりもずっと小さい。
そしてウルムチと違ってあまり高い建物のない町だった。遠くから眺めると白い建物が目に付いたが、町の中に入るとそうでもなかった。


また、火焔山は東西に100㎞。行くまでは一塊の山だと思っていたが、実際には幾本かの水の流れで区切られた山の総称であることがわかった。
この火焔山をグーグルアースで見ると、4つ程に区切られた山で、高いところは黄色い筋が通っているのが見える。
火焔山の縦に刻まれた谷の一つにトユク村がある。トユク石窟には小さな村を通って手すり付の木道を歩いて行く。


お昼前後にここを見学し、気温は40℃あったが、言われていた程暑いとは思わなかった。この遺跡は前日の雨で崩壊したということだが、地面も建物も同じ赤い色なので、どのように崩壊したのかわからなかった。
玄奘三蔵が麹文泰に請われて高昌国に滞在し、説教したという講堂や、仏坐像が崩壊しながらも残る仏堂址など、左下をズームしていくとわかります。
仏寺や住居跡などの間をロバ車(定員の10名になるまで発車しない)で5分ほど移動した後に歩いて見学するので、かなり広い遺跡だ。

ここから出土した遺品は素晴らしいものがたくさんあるのだが、ほとんどがウルムチの新疆ウイグル自治区博物館の所蔵となっていて現地で見られない。そのせいか炎天下に見学者の数は少なかった。

遺跡の見学は南側から歩いていく。高昌故城よりずっとこぢんまりしている。一般に見学できるのは上の塔林の向こうくらいまでだ。


ブハラ(ウズベキスタン)のカリヤン・ミナレットと外観が驚くほど似ている。平レンガを組み合わせて様々な文様を作り出している。
付属のモスクは多柱式で、柱は八角だが、丁さんが子供の時見たのは四角だったという。修復されたのかどこもきれいだった。天井は板張りではなく丸太を並べてある。丁さんがポプラの木で造ったと教えてくれた。ウズベキスタンのヒワにある金曜モスクも木の多柱式で、天井は板張りだ。やはりこのモスクは中央アジア様式だ。
砂漠の中のオアシス都市でこれだけ木を使うのは、日本で建物を大理石で造るようなものだろう。
