お知らせ

イラン・フランス南西部のオクシタニー地方の旅行記に続いて、南イタリアの旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2008年12月15日月曜日

グーグルアースでトルファンを巡る


トルファンの町は想像したよりもずっと小さい。
そしてウルムチと違ってあまり高い建物のない町だった。遠くから眺めると白い建物が目に付いたが、町の中に入るとそうでもなかった。
トルファンから東に向かうと火焔山が見えてくる。午前中の日の当たらないうちは、山肌はくすんでいる。日が昇るにつれて赤みを増してくる。我々の行った時が雨の後だったので、火焔山を5分見ていると目の前がゆれてくる。それが陽炎のせいなのか、暑さで頭が参ったせいなのかわからないと言われたこの山だが、ついに陽炎を見ることがなかった。
また、火焔山は東西に100㎞。行くまでは一塊の山だと思っていたが、実際には幾本かの水の流れで区切られた山の総称であることがわかった。
この火焔山をグーグルアースで見ると、4つ程に区切られた山で、高いところは黄色い筋が通っているのが見える。
    

火焔山の縦に刻まれた谷の一つにトユク村がある。
トユク石窟には小さな村を通って手すり付の木道を歩いて行く。
別の谷には2005年のNHK『新シルクロード』で詳しく紹介していたベゼクリク千仏洞がある。ここはトユクに比べてずっと大きな谷だ。
その火焔山の南に高昌故城がある。高昌故城らしき土色の空間からさほど離れていないところに農地でない空間を見分けることができる。それがアスターナ古墓群。

お昼前後にここを見学し、気温は40℃あったが、言われていた程暑いとは思わなかった。この遺跡は前日の雨で崩壊したということだが、地面も建物も同じ赤い色なので、どのように崩壊したのかわからなかった。
玄奘三蔵が麹文泰に請われて高昌国に滞在し、説教したという講堂や、仏坐像が崩壊しながらも残る仏堂址など、左下をズームしていくとわかります。

仏寺や住居跡などの間をロバ車(定員の10名になるまで発車しない)で5分ほど移動した後に歩いて見学するので、かなり広い遺跡だ。高昌国の墓地だったアスターナ古墓群は高昌故城の北にある。行ってももこもこと土まんじゅうがあるだけで地味な遺跡だ。公開されている墓室も屏風風に区切った壁面に絵が描かれている程度のものだった。
ここから出土した遺品は素晴らしいものがたくさんあるのだが、ほとんどがウルムチの新疆ウイグル自治区博物館の所蔵となっていて現地で見られない。そのせいか炎天下に見学者の数は少なかった。
高昌故城が漢民族の麹氏高昌国であった頃、現在のトルファンの町の位置には町はなかったようだ。そして、高昌国から西に向かうこと2日でイラン系の車師前国に至ったということだ。その国は現在の交河故城にあたり、トルファンの町の西方、文字通り両側を河に囲まれた土地にある。

遺跡の見学は南側から歩いていく。高昌故城よりずっとこぢんまりしている。一般に見学できるのは上の塔林の向こうくらいまでだ。
北側には漢民族の溝北墓地が、さらに北方と西岸の溝西墓地にはイラン系の車師前国の墓地がある。それらから様々な遺物が出土した。
トルファンの南東の町はずれに蘇公塔がある。

ブハラ(ウズベキスタン)のカリヤン・ミナレットと外観が驚くほど似ている。平レンガを組み合わせて様々な文様を作り出している。

付属のモスクは多柱式で、柱は八角だが、丁さんが子供の時見たのは四角だったという。修復されたのかどこもきれいだった。天井は板張りではなく丸太を並べてある。丁さんがポプラの木で造ったと教えてくれた。ウズベキスタンのヒワにある金曜モスクも木の多柱式で、天井は板張りだ。やはりこのモスクは中央アジア様式だ。
砂漠の中のオアシス都市でこれだけ木を使うのは、日本で建物を大理石で造るようなものだろう。