階段途中に窓があった。だいぶ見下ろす角度が変わってきた。
1階に降りたら長いヴォールト天井の長い通路に出た。
『ROMA』は、地面の高さにあった80のアーチからは、内部の階段やアンブラクルム(渡り廊下)に行き、大観衆は、その先の出入り口から決められた上階の観覧席へと行くことが出来たという。
このような通路は外のアーチと階段をつなぐものだったのだ。先で左折して剣闘士入場口へ。
あまり見学者がいなかったので、正面から写す。地下ぱ通路を挟んでヴォールト天井の部屋の列が整然と並んでいる。
当時はこのように板が張られていたらしいが、現在は東側に一部が再現されている。
「パンとサーカス」ということで、一般民衆も無料で格闘技などを見ることができたが、どの席に座るのも自由というわけではなかったようだ。
ここで観戦するためには、それぞれ定められた観覧区域への入場許可証が必要で、今でもアーチの上には入場許可証の番号が残っているのが見えるという。気がつかなかったなあ。
舞台の方に行って見よう。
ところが、西闘士入場口から東闘士入場口へどうやって行けば良いのかわからなかった。1階から行こうとすると、どちらも途中に柵がある。また2階に上がって闘士入場口の上に来たが、この辺りからも1階の闘士入場口に降りるようにはなっていなかった。
あちこち探し回ったが、結局舞台には行き着けなかった。また西の剣闘士入場口までもどった。
そう言えば、入場者はたくさんいるのに、舞台の上にはあまり観光客がいない。それも2、3人でパラパラ見ているというよりは、グループがガイドの話を聞きながら眺めているといった感じだった。
コロッセオの舞台は、予約客か、ガイド付きの特別なグループでないと入れないのだろうというのが我々の行き着いた結論だった。おっちゃんがコロッセオが見たいというのでやってきた今回の旅行だが、そういうことで納得してそろそろ退場することにしよう。
南側の通路を歩いていると、よく日の当たった北側が見えた。右下のアーチに白石が挟んであるあたりが皇帝観覧席だろう。その前には金属の十字架が置かれている。当時ここでキリスト教徒が猛獣と闘わされたので、その追悼ということだろうか。
『ROMA』は、可能性としてはありえるが、ここがキリスト教徒の順境場所であったという説は、この後出来た伝承であって、はっきりとした確証はない。
中世には、18世紀中頃教皇ベネディクトゥス14世が十字架の道行きに指定したという。
それで十字架が置かれているのだろうか。
この柵で行き止まり。今度来る時は、あの舞台に行くにはどうすれば良いのか、ちゃんと調べておこう。
南のここが出口(uscita)。昔はここが入口だったようだ。
※参考文献
「ROMA ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」(2001年 Electa)
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)