『ポンペイ今日と2000年前の姿』のもう一つの地図に、エルコラーノ門の外に㉕モザイクの円柱のある邸宅というのを発見。ところが㉕が4つもあるので、その邸宅がどこにあるのかわからない。
そのモザイク円柱は、ナポリ国立考古学博物館の第58展示室に展示されている。同館の『i mosaici la casa del fauno』に図版があった。
モザイクの円柱のある邸宅(Villa delle colonne a mosaico)の円柱 エルコラーノ門の外(fuori la porta ercolanese di Pompei)
円柱は4本もあった。イタリア語版で全くわからない同書によると、庭園にある池の蔓棚の柱(la pergola dinanzi alla fontana nel giardino della villa)だったらしい。
下1/4には幾何学文、文様帯を挟んで植物文、細い2本の文様帯の間にも何かを表している。更にそれらの上にも植物文があるが、残念ながらその上は失われている。植物文は池から生えた花を咲かせた草花のようにも見える。
拡大図版もあった。上の右奥の円柱のもので、色が鮮やかだ。ポンペイの泉水堂と同じく貝殻も貼り付けられている。
Colonne a mosaico in pasta vitrea。pasta vitreaはねりガラスで泉水堂の説明にも出てきた。ねりガラスによるモザイクの円柱だという。
『ガラス工芸-歴史と現在展図録』は、ガラス・ペースト(練りガラス)と呼ばれている物質は、後に見られる透明ガラスほどには高温処理されていないため、まだガラス質中に細かいガス気泡が残り、不透明なガラスをさしている。製作技法上、実際にガラスを練ってつくるわけではないので、練りガラスとかペースト・ガラスとかいう名前は余り適切ではなく、むしろ不透明ガラスとでも呼ぶほうがよいであろうという。
ねりガラスは粉末状のガラスを水などで溶いて練り物にしたものという風に思ったが、不透明ガラスなら理解し易い。
泉水堂についてはこちら
ガラスのテッセラでつくったモザイクが円柱にあった。『完全復元ポンペイ』は、小噴水の家のモザイクで装飾された泉水堂について、アウグストゥス帝時代に壁画やモザイクといった装飾が一新されたというので、紀元1世紀に造られたのだろう。
ガラスという新しい素材のおかげで、モザイクのテッセラに鮮明な色が加わった。青(azzurro)、青緑(verdemare)、黄(giallo)、赤(rosso)、白(bianco)、緑(verde)といった色ができたらしい(同書より)。
上図の細い文様帯に囲まれた帯状の拡大部分(○の中)には、アモリーノ(羽のある子供)が槍を持って鹿を追う場面が表されている。
幾何学文の大きなテッセラはほぼ大きさがそろっているが、下図の場合は、細かく表現しようとしたガラスという新しい素材を大きさの揃ったテッセラに割るのが難しかったのか、大きさ、形ともまちまちである。それでも、テッセラの色を変えて、人体や動物の体を立体時に表現しようとしている。
子供の顔の両側に黄色のテッセラが数粒使われているし、鹿も子供も肌色あるいはベージュが使われている。
では、地面は何色だろう?ひょっとして金箔ガラステッセラが使われているのでは?金箔ガラスのテッセラがモザイクに使われるようになったのが何時か知りたいので、気になるなあ。
他の円柱には鳥グリフィンもいた。右の翼は水色、左の翼は黄色、たてがみは赤と黄色を交互に配して表されている。
ポンペイの遺跡は一日かけて回りたいが、ナポリ国立考古学博物館もじっくりと見学したいものだ。
※参考文献
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「i mosaici la casa del fauno」(2001年 Electa Napoli)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)
「ガラス工芸-歴史と現在展図録」(谷一尚他 1999年 岡山市立オリエント美術館)