エルコラーノ門に続くポンペイ遺跡の出口を出てやや登り坂となり、しばらく畑の中を歩くと秘儀荘に当たる。
その間、田園風景を楽しむという余裕はなく、どんどん歩いて行った。
畑もあって、オリーブの木が少々植わっている。
ヴェスビオ山が見えた。
ヴェスビオ山は79年に噴火するまでは3000m級の山でしたが、噴火で頂上部が崩れ、現在は1300mほどの高さです
そう言われると、両側の斜面を延長して富士山のような姿の高い山が想像できた。
向きを変えると、丘陵が突然切り込まれたような形で秘儀荘の赤い屋根が下に見えた。大きな建物だ。
ポンペイの城壁から秘儀荘までの丘陵部はヴェスビオ山の火山灰と畑の土で覆われているが、その下には邸宅が群が並んでいたかも。
大柱廊と呼ばれている建物の南側に出た。
『完全復元ポンペイ』は、この屋敷は、周囲の住居の多くがそうであるように、東西を中心軸線とし、建物の前半分は、傾斜地を平らにするために築かれた四角形の人工堤の上に建っている。
前80年にスッラがポンペイを植民市としてまもなく、時流に合わせて建物が一新された。郊外の豪邸と呼ぶにふさわしい外観に生まれかわったのである。
1玄関ホール、ペリスティリウム、8アトリウム、7執務室談話室(エクセドラ)はすべて、海へとつづく斜面に面した同軸線上に並んでいるという。
下図では7は居間となっている。
大柱廊は広い軒下に二重の列柱がある。
外側の柱は平レンガを5枚重ねた層と、切石を斜め格子状の層を交互に積んで造られている。
柱はレンガ積みでつくられ、漆喰を塗って縦溝までつくって大理石の柱のように見せかけています
大理石の柱を運んでくるのが大変だったのか、それとも、大理石の切石積みに見せかけた壁面装飾と同じく、似せて造ることが流行していたからか。
レンガ積みのままでも面白いデザインなのに。
※参考文献
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)