フォロの北側には今ではカフェテリアがあり、その続きの建物がフォロの浴場だった。
『完全復元ポンペイ』は、ポンペイが溶岩流に飲みこまれたとき、唯一営業中だったのが、フォルム浴場である。男湯と女湯に分かれた浴場の建物は、前80年にポンペイが植民市となった直後に建てられたと考えられているという。
B:体育場の入口から入る。上図で見ると、ここは天井がなかったのではなく、残っていないらしい。
狭いヴォールト天井の通路を曲がりながら歩いて行くと、
1:脱衣室に出た。
天井はヴォールトになっている。壁画はよくわからなかったが、鴨居のようなところに鳥グリフィンの漆喰装飾が帯状に並んでいる。
脱衣場の奥は円形の2:冷浴室。、天井は鍵穴のような穴の開いたドームになっている。半球よりは傾斜が急かも。
壁面には最初が残り、ドームと壁面の境目には小さいながら動物の漆喰装飾が見られる。
下は円形の冷水プールがある。
3:温浴室の南側は、彩色スタッコの装飾や男像柱でしきられた壁龕が良好な状態で残っているという。
壁龕は衣類を入れておく棚ということだった。
彩色ストゥッコでアカンサス唐草や様々な幾何学の額縁状の枠に囲まれた動植物がちりばめられている。ポンペイ第4様式でも後期には壁画よりもこのような彩色ストゥッコが主流となってきたのだろうか。
続いて4:熱浴室へ。天井に畝が並んでいるのは、湯気が冷めて水滴が落ちてこない工夫だろうか。
平面には黄色や赤い彩色が見えたが、壁画が描かれているわけではなかった。奥の壁龕にも両側の平面にも、縦溝のある柱に似せた浅い浮彫が等間隔に並んでいる。
北側に8:湯舟、
床には白色だけの舗床モザイクが残っている。きっと浴場の縁には黒い線があっただろう。
南側に半ドームと丸い明かり取りの穴。そこには小さいがイルカのストゥッコ浮彫が巡っている。半ドームの壁面にも人物像などの彩色ストゥッコ装飾があった。
その下の7:円形の水盤は大理石製らしい。
『ポンペイの遺産』は、絶え間なくお湯が沸き出し、それで体を洗ったという。
今回見学したのは男湯の方で、10-13の狭いところが女湯らしかった。
その後テルメ通に出て、悲劇詩人の家の番犬を見たのだった。
下側が北の航空写真があった。フォロから浴場へ、そして浴場から悲劇詩人の家へと向かう人たちが写っている。
ローマ時代の浴場は、思ったよりも小さかった。
※参考文献
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)
「ポンペイの遺産 2000年前のローマ人の暮らし」(青柳正規監修 1999年 小学館)