お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月4日木曜日

1-11 スルタンアフメット・ジャーミイ7 ブルーモスクといえばタイル2

北西の隅から2階席のタイルを見ていく。
ブルーというよりも緑っぽく写ってしまった。
上写真の真ん中辺りのタイルのアップ。やっとピントの合ったのを見つけたが、編集すると派手な色目になってしまった。実物はこんなにギラギラしていなかった。
上の絨毯の房飾りのようなものは、おそらく樹木を表したものだろう。
両側の笹の葉と露のような文様は、チンテマニという文様らしい。『トルコの陶芸』は、二本の波線と三つの円からなる文様。虎縞と豹の斑点からのデザインであるという。植物文ではなく動物文だった。
それに続く壁面。右隅が面取りになって角柱へと続く。
赤い色も入っていると思うが、これではよくわからない。
その1階部分は天井に近いところにタイルがあった。
トルコのツアーのおばちゃんたちは、信心からというよりも、疲れて座り込んでいる。
その間に入り込んで何を撮しているのかというと、これです。
そのタイルをアップするとコバルトブルーだけでなくトルコ石の青や赤、緑も入っているのが見えてきた。
もっとアップすると、こんなに鮮やかだった。
スルタンアフメット・ジャーミイの建設期間は1609-16年と、17世紀初頭である。
同書は、17世紀に入るとイズニクの陶芸は急速に衰退している。胎の滑らかな白は薄汚れたものとなり、釉薬の質も落ちた。顔料は、輝きを失い、ときには焼成中にとんでしまう。赤の代わりに茶が多くなり・・という。
最盛期の「トマトの赤」よりも濁った「血の赤」かな。イズニクタイルの赤については後日。
北東の突き当たりまでタイル装飾は続いている。
2階席は見学できなくて残念だった。
※参考文献
「トルコの陶芸 チニリキョスクより」(イスタンブル考古学博物館 1991年 A Turizm Yaymlari Ltd.Sti.)