お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年11月22日火曜日

2-14 イエディクレ(Yedikule)へ

リュステムパシャ・ジャーミイを出た。

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先ほどの商店街に入ったが、Uzun Çarşi Cd通りを直進。
ピデ屋発見!トルコ風のピザと言われている。ピデやラフマージュンのようなものは今回のトルコ旅行では食べていないし、小腹が空いてきたので、試して見たいがMさんはどんどんと歩いて行く。着いていくのが精一杯。
通りに子供が多いと思ったら、おもちゃ屋街だった。 左側にオスマン朝風の壁が少し残っていたりもする。
奥に見えるミナレットはYavasça Sahin Mehmet Ali Pasa Camiiというモスクのものだ。
地図で見るとそのままでグランドバザールに行ける道だったが、Mさんは途中で狭い通りへと入っていった。何でもスーツケースがほしいのだという。
Tomur SkからYavaşça Şahim Skへと入ったのだと思う。通りの両側にスーツケースやキャリーバッグを置いた商店街でMさんの足は遅くなった。
我々はべったりとMさんにくっついているのも悪いかと思い、先に歩いて行く。

この通りでもウォーターサーバーが置いてあり、配達に来た人などが紙コップに入れて飲んでいた。誰でも飲んでいいお水のようだ。かつては素焼きの壺に水が入れてあって、気化熱を奪われてひんやりした水が飲めたはず。エジプトでは現在でも使われているようだったが、東トルコのウルファでは、レストランの中庭に、用のなくなった壺が片隅に置かれていた。

左のシャッターのおりた商店の前では水のタンクを交換している。
通りの突き当たりでC君と待っていると車止めの前に次々と自動車がやってきては人を降ろして去っていく。
Mさんは大きなキャリーバッグをごろごろと引きずりながらやってきた。
言い値の何割くらいで買ったのだろう。トルコ人がお店の人とどのようにかけひきをして物を買うかを見るチャンスだったのに、一緒にいれば良かった。
Uzun Çarşi Cd通りに戻ってどんどんと歩いて行く。Mさんは時々持つ手を代えながらバッグを引いていく。だんだんと道は狭くなってきた。
何となく見たことのある通りだと思ったら、スレイマニエ・ジャーミイへ行くときに通ったMercan Cdだった。その先のYaĝlikçilar Skは来た時に通った道。そのまま歩いてグランドバザールへ。
グランドバザールは相変わらず大勢の客であふれていた。
出口でC君はキャリーバッグをを持って退場。ここからはMさんとの意思の疎通はどうなるのだ?
次に向かうのはイエディクレ。テオドシウスの城壁の南端にある黄金門へ。
まず、路面電車トラムヴァイの通る中央通を西へ。アクサライあたりで海岸通へ出るのかな。
しかし、Mさんはすぐに立体交差のあるところでUターン、どこに行くつもりなのだろう
やがて狭い通へと入り、小さなドームのモスクが右に見えたかと思うと右折で海岸通に入った。
あっ、クチュクアヤソフィア・ジャーミイ(Küçükayasofya Camii)。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、マルマラ海に面して建つのがキュチュック・アヤソフィア(小アギア・ソフィア)とよばれるアギイ・セルギオス・ケ・バッコス聖堂である。ユスティニアヌス帝夫妻によってホルミスダス宮殿の中に建立された集中式の建築であるという。
一瞬だったが、アヤソフィアに似ているので、気がついた。こんなところにあったとは。

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急に見つけたのと勢いよく曲がったので写真も撮れなかった。その上海岸通は西へ向かう場合は対向車のために海がよく撮せないのだった。
クチュクアヤソフィアについてはこちら

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」(益田朋幸 2004年 山川出版社)