ヴァン城は、街からヴァン湖までの低地にある東西に走る細い岩山の上にある。
『世界美術大全集16西アジア』は、東アナトリアから南カフカス(トランス・コーカサス)の山岳地帯を中心に紀元前8世紀ころを頂点に繁栄を誇ったウラルトゥは、当時の西アジア最強国新アッシリアとは浅からぬ因縁があり、それとの関係抜きで語ることはできない。そもそもウラルトゥという名も、アッシリア側の呼び名であって、彼等は自身のことをビアニリと呼んでいたという。
『トルコの東トルコの西』は、首都は、ヴァン湖畔のトゥシュパにあったという。
ウラルトゥ王国の首都がこんな細長い岩山の上にあったとは。
ヴァン城は、紀元前9世紀の半ば、ウラルトゥのサルドゥルⅠが築いたものといわれる。その後、ビザンチン、オスマン・トルコによって増改築された。岩壁にアッシリア文字でサルドゥルⅠの業績が記録されている。岩山の廻りに手摺りが設けられているが、手摺りから下を覗き込まないと、見ることができない。覗き込んで墜落し、何人かの観光客が死んだので、手摺りを設けたとのこと。しかし、手摺りは頼りなく、足下は滑るので、刻まれたアッシリア文字を見ることはできなかったという。
そんな恐い遺跡だったのか。覗けと言われたらどうしよう・・・
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バスが停まった。城壁などの遺構が山の斜面に重なって見える。
門を入って、ぐるりと西に回り込んでからヴァン城へ。
上に観光客がいるが、直登せずにあまり傾斜のない道を進んでいく。
緩やかな坂道を花を見ながら登っていくと、岩を刻んで座席を造ったような遺構があった。
その先にはさっき観光客が歩いていたところに続いている。岩は向こうの方まで削られている。
ヴァン湖が見えた。
しかし、ヴァン湖の方には行かず、街側へ歩いていく。
近くに日干レンガを棒で補強した遺構があったが、ここにも登らずに見過ごした。ウラルトゥ時代のものらしい。
2分ほど歩くと門があった。
アーチ門はセルジュク朝。左右の壁とは切石の大きさが全然違う。
左の崖側は切石を積み上げているが、その大きさが途中から変わっている。崩れたものを後の時代に修復したのだろう。
右の山側の切石は、崖側の一番下のものと同時期のままのようだ。
門を入ると、崖の上に、下部は切石、上部は日干レンガで造られた城壁が続いた。日干レンガは雨風化してカッパドキアの奇岩のようにも見えた。
先に四角い遺構がある。
それを通り越してから斜面をジグザグに登っていく。
背の低いミナレットはセルジュク時代のモスク跡だが中には入れなかった。
左の門もイスラーム時代の尖頭アーチ。
アーチはくぐらずに、崖ぎりぎりの不整地を歩くことになった。
左には日干レンガの長方形の遺構があった。貯蔵庫だったらしい。
この区間の花はこちら
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「トルコの東 トルコの西」(保科眞一・望月敦子 1996年 叢文社)