お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年3月14日水曜日

4日目8 イラン国境近くにメテオホール

再びE80号線に戻って、真っ直ぐな道をイランとの国境へ向かった。
途中から中央分離帯の左側を走っていた車窓から、右側に国境越えを待つトラックの長蛇の列が見えてきた。写真を撮りたかったので、この辺りはもう少しゆっくり走ってもらいたかった。
運転手たちは時間がかかるのはわかっているので、おしゃべりをしたり、チャイを飲んだり、のんびりと構えているのをテレビで見たことがあるが、まさにそんな光景だった。その番組では、イラクとの国境を取材していた。昔から戦争があっても途切れることなく交易は行われていて、隊商は保護されていたとか言っていて、交易路と隊商の民の重要性を改めて感じたものだった。

イランの方からは税関を通った観光バスやトラックがまばらに通り抜けて行く。イランに入ったトルコのトラックも同じことだろう。
我々は国境の手前で左に折れ、メテオホールという隕石孔を見に行く。
メテオホールはグーグルアースでも見られるくらいの穴だ。

大きな地図で見る

これが実物です。
トルコ語の図解があった。単位だけがかろうじてわかるが、隕石孔というのはすり鉢状になっているのではないの?中途半端に火山に興味を持っている私には、ガスがシュポッと抜けた跡のように見えた。
ノアの方舟跡については懐疑的なKさんだが、このメテオホールは本当に隕石孔と思っているようだった。
メテオホールはともかく、ここまで来ると5137mのアララト山と3925mの小アララト山がほぼ同じ大きさに見える。いろんな方向からアララト山を見られて良かった。
そしてそこまで押し寄せた火山流も。
ホテルに戻ってビュッフェ式の夕食。
まずはサラダから食べたはずだが、2人の写真が混じって、どれだけ食べたのか分からなくなってしまった。こんなにたくさん食べてはいないと思うが。
トルコの生ジュースはいろいろ試してそれぞれに美味しかったが、ここのは缶ジュースのブラッドオレンジだった。
もちろん最後にスイカを食べました。
でも、残念だったのは、アシュレ aşureと呼ばれるノアの方舟プディングがなかったこと。ドーバヤズィットで食べられるのではと期待していたのに。
夕食後、レストランの建物から出るとちょうど夕焼けが見えた。
道路まで行って夕日に染まるアララト山を眺める。
振り返ると裏側にイサクパシャ宮殿のある、あのギザギザの山も夕日色をしていた。
ホテルにはトレッキングを楽しむ人たちも泊まっていた。ネムルート山のホテルに次ぐ簡素さだが、夜になると日中の暑さもなくなり、心地よく眠れた。
もちろんシャワーです。