グランド・バザールを出てもしばらくは商店街が続いていた。ほとんどが帽子を扱う店だった。
少し広いメルジャン通(Mercan Cd)に出て左折。前方に見える大きなミナレットはイスタンブール大学の敷地内にあるらしい。ここから登り坂。
子供から警官まで、いろんな制服を売っている店があった。
道端に店を広げる人がいたり、大きな荷物を運んでいたり、スルタンアフメットのような観光地区とはまた違ったイスタンブールの顔がある。地元のMさんと歩いているからこそ通ることができる界隈だ。
何故か「合格」という妙な漢字が看板のお店。
イスタンブール大学の敷地に突き当たって右へ、フアト・パシャ(Fuat Paşa Cd)通を壁に沿って歩く。
『イスタンブール歴史散歩』は、イスタンブール大学もまた、メフメットⅡがコンスタンティノープル征服後、ただちに創設したものである。その後、歴代のスルタンが施設を充実させていった。帝政時代の大学には神学、哲学、法学、薬学、科学などの学部があったという。
学生のためにアザーンを呼びかけるミナレットが造られたのだろうか。
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大学の壁に沿って左に曲がると、どんつき風になってしまった。
しかし、Mさんは狭まったところを通り抜けて行った。
大学の壁はまだまだ続くが、我々は壁から少し離れて、白い門へと向かう。
右の壁は等間隔に格子窓があいている。
格子の隙間からのぞくと細い円柱のようなお墓が並んでいて、その奥に大きな建物があるのがどうにかわかった。
え、もうスレイマニエ・ジャーミイの敷地内に入っているのか。Mさんは何も言わずどんどん歩いていくので、気がつかなかった。
実はたいていの本にはスレイマニエ・ジャーミイの平面図が②中庭が下で④スレイマン廟が上、方角からいうと南東が上に描かれている。その方が様々な施設の複合体を描き易いのだろうが、地図でも平面図でもナビでも、上が北でないと気持ち悪い私としては、北のマークがない限りは上が北だろうと思ってしまう。それで、この時も突然右手にスレイマニエ・ジャーミイそのものが出現して、頭の中は混乱してしまったのだった。
下図は北を上に回転させた平面図です。
ミフラーブの方向はスルタンアフメット・ジャーミイと同じなのに、何故そう思い込んでしまったのだろう。
※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)