トルコの地方を旅行してまたイスタンブールに戻ってきた。午後からはMさんに車で案内してもらうことになっていた。
バヤズィット・ジャーミイ近くの駐車場に車を預けると、Mさんはクランド・バザールに向かって歩き出した。
大きな地図で見る
グランド・バザールはトルコ語ではカパル・チャルシュ(Kapali Carsi)という。『図説イスタンブール歴史散歩』は、トルコの人々が「屋根つき市場(カパル・チャルシュ)」と呼ぶグランド・バザールの起源は、征服者メフメット時代にさかのぼると、一般的にはいわれている。
大小とりどりの数多くのドームを頂き、迷路のような大路、小路の交差するこの巨大な屋根つき市場は、現状で面積約3万㎡に及ぶ広大な施設である。そしてそのなかには、大小とりまぜて4000をこえる店舗が、ひしめいているという。
しかし、16年前に来た時にはヌーリ・オスマニエ門から入ったためか、グランド・バザールは観光客向けの土産物を売る店ばかりで、イスタンブールの人々の生活の場ではなくなっていた。
ところが、Mさんの後をついて歩いていると、通っているのは観光客ではなく、地元のトルコの人たちだった。やがてバヤズィット門(バヤズィット・カプス Beyazit Kapisi)が見えてきた。
実は30数年前、日本人客がほとんどいない頃にグランド・バザールに来ている。新市街からバスに乗って、終点で下りるとこの入口の近くだった。
16年前もここから入って当時の雰囲気が残っているか確かめたかったが、時間がなかった。
そして30数年ぶりに来てみると、にぎやかで懐かしさは感じなかった。
グランド・バザールは屋根のある内側だけでなく、外側も店舗が並んでいる。
中に入ると、宝飾店や絨毯屋の店が続いていて、当時の面影はなく、やっぱり観光客が多かった。
その時グランド・バザール内の郵便局で絵葉書を出したので、今回も同じ所から出したいと思って書いてきたが、郵便局は見当たらない。Mさんに言えば良かった。
Mさんはやがて左曲がって狭い通りに入った。東側と比べると住民向けの店が多い。ヴェール小路という名で、服地などを売る店が並んでいたが、観光客向けの商店もポツポツ進出していた。
少し広い箇所に来ると通路の真ん中に円柱が並んでいるのだった。ここがトルコ帽屋通りとここで交わってハンカチ通りになっていくらしい。
階段をあがったところはモスクということで、この木の見張り台のようなものは、祈りの時を知らせるミンバルらしかった。
あれま、ウズベキスタンのスザニ(刺繍布)が並んでいる。数年前にNHKで『一攫千金 スザニを追え』という放送があった。古いスザニはヨーロッパの人たちに人気があり、ここグランド・バザールの店を介してどんどんヨーロッパに売られているとのことだったが、このお店のものは新しいものばかりで、しかもクッションカバーになっていた。
ハーンに行ってみよう。通り過ぎるばかりなので、Mさんが少し寄り道した。
鎧師ハン(Cebeci Han)には屋根のない中庭があって明るかった。2階にもスザニの店があったが、ここも新しいものばかりのようだ。スザニは古い物はもう手に入らなくなっているのだろう。
モスクのランプを売っている店もあって、ほしいなと思ったが、家には吊す所がないので諦めた。
オリュチュレル門(örücüler Kapisi)からグランド・バザールを出る。
※参考文献
「図説イスタンブール歴史散歩」(鈴木董・大村次郷 1993年 河出書房新社)