お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年4月4日水曜日

5日目9 アニ遺跡7 最後に見たのはセルジュク朝の宮殿

19:キャラバンサライを見学後、Kさんは1:ライオン門の方に歩いて行き、止まった。
ここで20分自由時間にします。でも乙女の城(11)まで行くのはちょっと無理です
振り返ると26:カテドラルの右に17:モスクの遺構。
その向こうにはアルメニアの監視塔が写っている。
転がっているものの内側に螺旋階段が見えていて、ミナレットだと分かった。
近づいて見たかったが、どのように近づけばよいのかわからなかった。
建物の遺構だろうとは思ったが、どうもこれが20:ガギク王の建立した聖ゲオルギウス教会だったようだ。
残りの時間にこの妙な遺構を見に行くことにした。
22:グルジア Georgian教会らしいが、この壁だけしか残っていない。
改めて見ると、グルジア教会も城壁も、切石を積み上げたようで、実際には薄い石の板を外壁兼型枠として使ったコンクリート工法で造られている。
グルジア教会は建立時期がわからないので、そのコンクリート工法が、アニでローマ時代より受け継がれてきたものか、セルジューク朝がもたらしたものかが特定できない。
3連のアーチの上に太い装飾のない帯が2本あって、そこから壁の傾斜が変わっているようだ。ヴォールト天井が架かっていたのだろうか。
平面図ではドームはなく、後陣が半ドームだったことしかわからない。
グルジア教会は一般的にこのような平面なのか、この教会だけが特殊なのか。
壁は薄い。外壁には装飾が全くない。いや、壁面と天井の境目にやっぱり2本の帯があるが、内壁の帯とは高さが違う。
見終わると1:ライオン門の方へと向かった。遺跡地図で見るよりも立派な城壁が長く続いている。
左の方に目を移すと、城壁の端には他よりも低い位置に何かの遺構があった。
その続きだったかどうかわからないが、同じく低い位置にこのような建物があった。

21:セルジュク朝期の宮殿
遠くから写しただけなので、宮殿とはわからなかった。
赤と黒の凝灰岩を石畳文に組み合わせてあるのが門。
色石を組み合わせ、それぞれ異なる文様の天井があっただろうか。
ライオン門を出てアニ遺跡の見学が終わった。
おっちゃんは門をくぐりながら言うのだった、アルメニアの監視塔を写したのが分かったからといって、アルメニアの兵士が仲の悪いトルコの国境を越えて、ここまでカメラを取り上げに来るとは思えないと。もっと早く言ってほしかった。

見学といっても写真を撮るのが精一杯で、思い出としては、広大な廃墟に花が咲いていたというよりは、お花畑にポツポツと小さな遺構があった程度だった。
アニ遺跡で見た花はこちら 

数ヶ月後に写真を整理していて、アニ遺跡のすごさがわかった。
残念ながら、アルメニア国境に近いため調査や研究が進んでいないようで、まとめるに当たって参考になるものが少なかった。