コリントス海峡から、あるいはイストミアから10号線をサロニコス湾に沿いながら、また海から離れて起伏のある道路を南下する。
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海岸線は入り組んでいて、小さな島もたくさんある、日本の海のようで、ギリシアを旅していると違和感を覚える。
右向こうの大きな島が、前500年頃建立された一石柱の円柱の並ぶアファイア神殿のあるエギナ(アイギナ)島だろうか、こんなに近くに見えるのだろうか。
セロンダ湾では、大小の輪っかが海に浮いている。乾燥地域のセンターピボットを思い起こしたが、魚の養殖をしているのだそうな。
バスはやがて道なりに西の方へとカーブしていった。それは、パレア・エピダウロスという遺跡や町のはずれ辺りらしい。
中欧が集中豪雨で浸水被害にあっていた頃、もう雨の降らない季節のはずのギリシアでも、天候が不順だった。道路脇の小川も濁り、空はどんよりとしている。暑くても青空であってほしいと思うような天候だった。
トルコの山は木がなかったが、ギリシアの山も木がないのだった。
ペロポネソス半島はオリーブの一大産地。平地にはオリーブ畑、見晴らしを遮る山には木がないという景色が続いて、いつの間にかエピダウロス遺跡に着いていた。
『古代ギリシア遺跡事典』は、パレア・エピダウロスから西に向かって10㎞ほど谷を分け入ったとこには、リグリオ村を中心に肥沃な内陸平野が広がっている。エピダウロス領の西端にあたるこの平野には、病を癒す神として広く崇拝されたアスクレピオスの広大な神域があった。現在エピダウロスと呼び慣わされているのは、ティッティオン山の麓に広がるこの神域の遺跡のことであるという。
上の山がティッティオン山?
エピダウロスはギリシア時代の劇場で有名な遺跡だが、古代ギリシア人にとっては、劇場よりもアスクレピオスの御利益の方が有り難かったらしい。
同書は、エピダウロスの遺跡を代表する遺構が、アスクレピオス神による治癒を求めて集まってくる参詣者のために構築された大劇場である。パウサニアスは、装飾の点ではローマの劇場が、また規模の点ではアルカディアのメガロポリスの劇場がこれに優るものの、石組みの美しさにかけてはエピダウロスの劇場に優るものはないと激賞しているという。
博物館に隣接した遺跡入口を入ってしばらく歩くと上り坂となる。
見通しのきかない木の間の道や階段を進んでいくと、突然開けた景色になり、もうそこが大劇場の前だということがわかってくる。
この劇場もそうだった。出発前に、古代遺跡というものは、当時としてはすごい技術が駆使されて造られたものだとしても、当時の人口から考えても、それほど大きなものではないだろうと、実物を見てがっかりしないように、自分に言い聞かせていた。しかし、やっぱりこの劇場も、思ったよりも小さかった。
同書は、ギリシアでもっとも保存状態の良いこの劇場は、前4世紀に建造された後、前2世紀に現在見ることができる形に拡張されたという。
現地ガイドのジョージさんは、上の方は前3世紀、下の方は前4世紀に造られたといっていた。
シリアのパルミラやボスラでは、ローマ時代の劇場のスケネがよく残っていたが、今はどうなっているのだろう。
門はデンティルだけがはっきりと刻まれている。
垂木の木口が並んださまが、デンティル(歯形装飾)という独特の装飾モティーフになった(『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』より)らしい。
このような劇場は、斜面を利用して観客席を造ったという。それなら、傾斜は劇場によって違っていたのだろうか。
昔山男は写真を撮りながらではあるが、途中で休むことなく、上まで一気に登ったのだった。
結構な斜度なので、下りる時は要注意。
現地ガイドは、中心の石の上で、いろんな高さで手を鳴らして、どの位置で一番音が響くかを教えてくれた。それは人の背丈ほどの位置だった。
席が埋まるほど人が入っている時が、反響が一番良いように設計されていたのだそうだ。
若者達が、石の上で熱唱していた。終わると拍手喝采。
コリントス遺跡10 アクロコリントス2← →エピダウロス2 アスクレピオスの神域
参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館



















