お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年9月2日月曜日

ペロポネソス半島4 ミケーネ1 円形墓域B


ペロポネソス半島の内部は山がちで、道路もカープと起伏の連続だ。直線距離では31㎞くらすなのに、移動に時間がかかった。

(下図にはエピダウロスもミケーネも出ていませんが、拡大していくとわかります)

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エピダウロス遺跡を見学後、小さな集落で食事。出発して間もなく、アイヨス・イオアンニス・エレイモンという11世紀のビザンティン教会があった。
ビザンティン教会といえばイスタンブールのアギア・ソフィアという巨大な聖堂がまず頭に浮かぶが、ギリシアで見かける町の教会は、どれも小さかった。
アギオス・ヨハネスは洗礼者の方か、福音書家の方か?どちらに奉献された教会かはともかく、フレスコ画が残っているのなら、見たかったなあ。
古代ギリシアの遺跡を巡っているとはいえ、山の端には今時の風力タービンが並んでいたりする。それがこちら側から見えていたと思ったら、カーブすると反対側から見えるようになっていく。
相変わらず山には木がなく、農耕地にはオリーブの木が多い。他にはピスタチオ、ちょうど食べ頃を迎えたアンズなどの果樹園があった。
オリーブの木の寿命は長いです。2000年くらいありますというが、どこの畑でもオリーブの木の背丈は低いのだった。
その割りに幹は古そうだった。、実を収穫しやすいように、一定の高さになったら枝を払っているようだ。
カーブの多い道端には、よく家または教会の模型のようなものが高い位置に立てられていた(下写真、カーブの標識の左上=ピンボケ)。
これは交通事故で亡くなった人の家族が置きにくる供養碑のようなものらしい。それだけでなく、幸い助かった人も、命を助けてくれた御礼の標に置いていくという。
そんな説明を聞いて、古代ギリシアの人達が、デルフィなどの神殿に、戦勝記念に像などを奉納したという話を思い出した。現在のギリシア人はキリスト教徒がほとんどのようだが、多神教だった時代から、ギリシアで暮らす人々は、御礼を目に見える形にするというのが慣習として受け継がれてきたのだなあと、面白く思った。
ちょっと尖った山が見えてきた。
やがて山の方に向かって坂を登っていった。
ふと見ると、前景に岩場のようなところがあった。それこそがミケーネ遺跡だった。
『古代ギリシア遺跡事典』は、ミケーネは、ペロポネソス半島の北東部、アルゴス平野の北端に位置している。
アルゴス平野をはじめとするギリシア本土の南部では、初期青銅器時代の後半に集落の焼壊をともなう大規模な文化変化が観察され、中期青銅器時代に入ると、しばらく文化的な低迷が続く。
ところが前17世紀になると、ミケーネが周辺の集落をしのいで次第に有力な拠点へ発展していったらしい。それを告げているのが、2つの円形墓域であり、その豪華な副葬品はこの時期に大きな社会変動が生じていたことを示唆しているという。
2つの円形墓域は、円形墓域AとBと呼ばれている。
谷の向こうにあるミケーネ遺跡にどんどんと近づいて、駐車場に入るためにスピードを落としたところで、ちょうど円形墓域Bが目の前に現れた。
ただし、ミケーネ遺跡の主要部は向こうの石の丘(実際は石を積み上げた城壁で囲まれている)のため、ここも遺跡だと気づく人は少なかった。
思ったよりも竪坑の一つ一つが大きい。
『ギリシア美術紀行』は、城門の外150mほどのところに円形墓域A(LHⅠ)よりもさらに古いMH期の24の小規模な竪穴墓をもつ円形墓域Bが残っているという。
『古代ギリシア遺跡事典』の図で③が円形墓域B。駐車場のすぐ近く。
同書は、墓域の東端は「クリュタイムネストラの墓」のトロス部構築にあたって破壊されているが、直径28mの墓域からは、14基の竪穴墓を含む25基の墓が見つかった。その副葬品は、円形墓域Aからのものと比べれば見劣りがするものの、中期青銅器時代の末にミケーネが興隆していった過程を雄弁に物語っているという。
説明板の図。
説明板は、ここは先史時代の、円形の石垣に囲まれた墓地の部分である。26の墓穴が含まれ、そのほとんどが、初期のミケーネ時代の葬礼建造物の特色である竪穴式に属する。多くの墓が石碑の目印がある。死者は豪華な副葬品と共に埋葬され、明らかに、前17世紀の地域社会の指導者層の家族または家系のグループに属している。
2007-2009年に墓の調査が終了し、円の南側の良くない状態だった9基の竪穴墓は土が入り込み、ガンマ墓の部分的に架けられていた覆いを取りはずしたという。
新たに調査されて墓が1つ増えたようだ。
ガンマ墓というのはどのことだろう。
墓域の向こうに石垣と低い切妻屋根が見える。
ズームしてみると、石垣にある切れ目は説明板の図にある出入口かな。その近くにある墓に屋根を被せているらしい。
近づくと、思ったよりも大きな屋根だ。
反対側には格子戸があった。
中には石を組み合わせたような四角い穴。
円形墓域Bの副葬品などは、後日忘れへんうちににて

           エピダウロス4 トロス← →ミケーネ2 ライオン門

関連項目
ミケーネ9 アトレウスの宝庫はトロス墓
ミケーネ8 博物館3 渦巻文は様々なものに
ミケーネ7 博物館2 土偶
ミケーネ6 博物館1 祭祀センターのフレスコ画
ミケーネ5 メガロン
ミケーネ4 アクロポリス
ミケーネ3 円形墓域A

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社