お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年11月7日木曜日

デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿


デルフィの神域のアポロン神殿にやっと到着。
『DELPHI』は、第1神殿は月桂樹の木で、第2神殿は蝋と羽根で、第3神殿はヘファイストスとアテナによって、第4神殿はトロフォニオススとアガメデスによって石で造られたという伝説があるという。
『ギリシア美術紀行』は、伝説上の3つの神殿の次のドーリス式第1神殿は前600年頃(さらに古い説あり)、建築家トロフォニオスとアガメデスにより建てられたが前548年焼失した。ドーリス式の第2神殿(アルクマイオニダイの神殿)は、多角石壁の構築後、少なくとも前505年頃までに完成されていた。第2神殿は前373年の地震で崩壊したが、現在残る第3神殿は第2神殿と全く同じプランに基づくものといわれているという。

同書は、横長の典型的なアルカイク時代の特徴をもつ。21.68X58.18m(6X15柱)という。

第2神殿のファサード 前6世紀 M.H.Lacosteによる想像復元図(『DELPHI』より)
入口から内部の2列の柱が見えている。
現在は数本の円柱が立つのみ。第2神殿当時は斜路がなかったらしいが。
西側から
ガイドのジョージアさんは、この後室の地下からもオムァロスが発見されたと言っていた。
劇場への通路から
上から見た方が基礎部分が分かり易い。
劇場のレベルから
劇場の上から

第2神殿の両破風について『ギリシア美術紀行』は、ヒッピアスにより前514年にアテナイを追放されたクレイステネスがアテナイの彫刻家アンテノルをしてパロス島大理石で作らせた という。


東破風彫刻 「ヒュペルボレオイ人の国からのアポロンのデルフォイ帰還」
『DELPHI』は、中央が高く両端に行くに従って高さが減少するところに彫像を配置する工夫を、アルカイック末期には、四頭立ての馬車を見る者に向かって配置することによって、中央軸を目立たせた。
8年間身を浄めた後、デルフィにやってきた。中央に正面を向いているのはアポロンの四頭立ての馬車に乗った神々、母のレト、姉妹のアルテミスという。
下図ではアポロン以外は省略されている。
その右側ではおそらくデルフィの王デルフォスが歓迎している。左側では3人の女性像は多分ケプロス王の娘。左端はライオンが牡牛を、右端では馬か鹿を捕らえているという。
しかし残っている像は、中央から左は馬2頭、2人の女性、ライオンの頭部と動物の胴体だけ。
右のデルフォス王の娘像
右肩から腕までかかるヒマティオンは、間隔をあけて留める程度のものらしく、生地も薄そう。どこかで見たような・・・
しかし、首ぐりから下がるヒマティオンは厚い布で作られたかのように、襞が重そうに重なっている。
右脇のマティオンは、襞を作りながら徐々に垂れている、その衣端の折れ曲がり方が均等なジグザグでもなく、自然にできた襞のよう。
こちらの娘像も似たような服装で、ヒマティオンの襞の中央はやや右脇寄り。
どちらの女性もキトンの裾が地面にすれないためか、左手で掴んでできたのであろう横皴が、凸線で丁寧に彫り出されている。

右側は、1頭の馬、正面を向く人物1人、馬か鹿とライオン。
右端の動物は首が細長いので、馬よりも鹿に近い。

西破風 「ギガントマキア」
同書は、破風の隅にいくに従ってすぼんでいく形に、戦いの場面を嵌め込むのに、左の巨人のように、膝をついたり、地に伏せたりさせている。その右側でアテナはヒマティオンとキトンを纏い、神の楯を持っているという。
左側
アテナ女神像が横向きで表されている。
アテナ女神像。復元図では、通常のアテナ女神像のように袖口に蛇が連なっているように描かれているが、残った身体部では衣文の表現に興味がわく。
裾ではキトンの折り重なった襞の端が等間隔で並び、中央の盛り上がった部分には卍繋文が描かれているようだ。
上着のヒマティオンの左端はもっと自然に襞とその折れた衣端が表現されている。

第3神殿の東破風彫刻 前330年頃
考古博物館の説明板は、9人のミューズに囲まれたアポロン、レト、アルテミス。アポロンは三脚鼎の上に坐り、ヒマティオンを着ている。月桂樹の枝と浅く広い坏(フィラエ)、信託のシンボルを持っている。ミューズたちは、ある者は立ち、ある者は岩の上に座っていて、神と、美と文学の世界を繋いでいる。アテネ人の彫刻家プラクシアスとアンドロスフネスの作品という。
ミューズ(ムーサ)はゼウスの娘で芸術・学問をつかさどる9人の女神。
アポロンは脚の長い鼎に坐っていて、アルカイック期には見られない。
ほかの像はあまりにも断片ばかりで、衣文がどのように表現されているのかすらわからない。

西破風
神の側近の女性たち(パナソス山で踊る)に囲まれたディオニュソス。中央に、非常に珍しいキタラ奏者姿のディオニュソスが立っているという。
ディオニュソスは女性のようにキトンを着け、ヒマティオンの襞が方にかかっているという。
遠くから見て女神像だと思っていた。
襞の表現が第2神殿(前6世紀後半)の破風の彫像とかなり異なっている。

デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
                               →デルフィ9 アポロンの神域8 劇場

関連項目
デルフィ11 デルフィの町とギュムナシオン 
デルフィ10 アポロンの神域9 スタディオン
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
デルフィ2 アポロンの神域1 シキュオン人の宝庫
デルフィ1 まずはアテナ・プロナイアの神域から

※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事出版社
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS