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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年11月11日月曜日

デルフィ9 アポロンの神域8 劇場


50:アポロン神殿を見学後、61:劇場へ。
劇場へは西側の通路を通っていくことになる。階段が見えている。
番号のない大きな台座のそばに通路があった。
階段の左側が開けていた。64:西のストアだ。
64 アイトリア人のストアまたは西のストア
『DELPHI』は、デルフィで最大のストア。正面に109本の円柱、内部は列柱廊となっている。碑文によると、前279年、対ガラティア(ガリア)人の戦勝記念にアイトリア人が建てたという。
デルフィ考古博物館の模型で見ると、アポロン神殿も西のストアも巨大で、劇場が目立たない。
縦縞の服を着た人のいる高さから劇場へ。
『古代ギリシア遺跡事典』は、アポロン神殿の北西側へ上がって行くと、神域の最高所を占める劇場に至るという。
ピュティア祭での演劇や音楽の競演が華々しく催された劇場で、デルフィの民会議場としても用いられていた。前4世紀に建造され、前2世紀半ばにペルガモン王国のエウメネス2世によって修復されたという。
エピダウロスの劇場を見て大きいと思わなかったが、この劇場に比べるとずっと大きい。
この劇場は、観客席には35列の大理石製の座席が設けられており、約5000人を収容したと推定されているという。エピダウロスの方は12000人だった。
③オルケストラは帆立貝のような形。④舞台は残っていない。
劇場の座席には柵があって入れないので、また通路から登っていく。下の方に西のストア跡が見えてきた。
西のストアは非常に長い建物だったことがよくわかる。
右下に見えているのはデルフィ考古博物館。
標高596mの劇場の最上部からは、アポロンの神域全体とアテナ・プロナイアの神域も見はるかす見事な眺望が開けているという。
オルケストラの形が帆立貝型というのがやっとわかった。右億の屋根のない建物はアテネ人の宝庫。
アポロン神殿の残った柱の向こうに開けた場所がある。
右向こうがアテナ・プロナイアの神域、左手前がギュムナシオン。左上の道路はオシオス・ルカス修道院へと向かう道。
説明板にこのような催し物の写真があった。

デルフィ8 アポロンの神域7 アポロン神殿 ← 
                          →デルフィ10 アポロンの神域9 スタディオン

関連項目
デルフィ11 デルフィの町とギュムナシオン 
デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎
デルフィ5 アポロンの神域4 ハロースに埋められていたもの
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫

デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
デルフィ2 アポロンの神域1 シキュオン人の宝庫
デルフィ1 まずはアテナ・プロナイアの神域から

※参考文献
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版