お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年1月9日木曜日

テッサロニキ5 アヒロピイトス聖堂まで街歩き


ホテルに到着後、パナギア・アヒロピイトス聖堂に行きたいのでタクシーを呼んでほしいとフロントに頼むと、アヒロピイトスが開くのは18-19時の間だけ、近くなので歩いていけと言われ、この地図をくれた。

部屋の窓から見えるサラミノス通りとポリテクニオウ通りの交差点。
ポリテクニオウ通りを歩いていると、縦の通りが歩行者専用になっていることが多く、そんなところには必ずといっていいほど、パラソルの下がカフェテラスになっていた。それぞれの店には、アイスチョコレートなどの冷たい飲み物を前に、ゆったりと時を過ごす人たちでにぎわっていた。
テッサロニキは活気のある街だった。経済問題などどこにあるの?というくらい、人々は街を行き交い、生活を楽しんでいた。海沿いの斜面に広がる、神戸のような街だった。
通りはどこからか名前を変えてツィミスキとなった。
お店の名前やバスの行き先など、意外とギリシア文字でない方が多い。

アギア・ソフィア通りに入ると、中央分離帯の木の下にもベンチがあり、そこにも憩う人たちがいる。
こちら側にもおしゃれなカフェのテラスが歩道にあって、テッサロニキっ子に混ざって念願のアイスチョコレートを飲みたかったが、アヒロピイトス聖堂が開いている間に見学しなくては。
カフェだけでなく、商店も多い。

パナギア・アヒロピイトス聖堂を目指して歩いて行くと、人影がまばらとなり、ふと右側を見ると本で見た教会が道路より低い土地にどっしりと立っていてびっくり。

⑪アギア・ソフィア聖堂 7世紀中頃
こんなところにあったとは。取り敢えずアヒロピイトスを見学してからここに入ってみることに。
アギア・ソフィアについては後日
この門!が目印。

さらにエグナティア街道を渡り、登り坂の道を行くと、先ほどの繁華街とは違う、住宅街の商店となってきた。

そしてついにパナギア・アヒロピイトス聖堂へ。ここまで約15分。街歩きをしてテッサロニキが活気のある街だとわかったし、多少の運動にもなったし、歩いてきてよかった。

⑫パナギア・アヒロピイトス聖堂 5世紀第3四半期
西正面に入口があるのだが、開いているかな。開いていても、ミサをやっていたら、写真を撮って回るなどということはできないのだが・・・
内部にはイコノクラスム以前のモザイクが残っている。しかも蓮の花のモザイクがあることを益田朋幸氏の『ビザンティン美術への旅』や『ビザンティンでいこう!』で知ったので、テッサロニキはいつか訪れたい街であり、このモザイクが見たいがためにここまで歩いて来たのだ。
アヒロピイトス聖堂は開いていて、写真も撮ることができた。テッサロニキでも私の夢の一つがかなった。
それについては後日。

見学後、アヒロピイトスの外側を巡る。

南側廊へ。あまり手入れされていない小さな庭園。
南扉口と付属の建物の間が屋根付き通路になっている
古い教会の窓はロンデルではなかった。それにしても大きな窓。コンスタンティノープルの6世紀に建立されたアギア・ソフィア大聖堂の窓を彷彿させる。しかも、三連の窓の間の区切りは円柱だけ。
付属の建物は小礼拝堂だった。平面図で見ると創建当初からあった
後陣側に回る。側廊は身廊と変わらないくらい高く造られている。
バシリカ式なので、この教会にはドームはない。
後陣の窓は幅広の壁で囲まれている。半円形のプランに大きなガラス窓を開くのは、これが限界だったのかな。壁の下には部分的に石材が出ている。
後陣の内部はカランバカの聖母の眠り教会の後陣のように、シントロノンがあったのだろう。
後陣北側にも付属の建物が、しかも窓の下側を塞ぐかっこうで造られている。
しかも中央後陣の両側に小後陣がつく様式だった。
南壁では気付かなかったが、レンガ壁に挟まれた一階窓と二階窓の間には黒い石の層があった。
北東部分は修復中。
西正面に戻ってきた。
外壁が剥がれて内側の石材が露出している箇所がある。レンガ造りだと思っていたのに、レンガは表面に並べただけに過ぎなかったようだ。

続いてアギア・ソフィア聖堂を見学。そろそろホテルへ戻らないと。
海が見える通りってええなあ。

同じ道を戻るのも面白くないので、脇道にそれてみよう。
まずはショッピング・モール。階段を降りる。
中は屋根がなく開放的。 若い人たちで賑わっていた。
ウインドウショッピングもせずに通り過ぎただけ。
出口には階段はない。それだけ傾斜があったのだ。抜けたらツィミスキ通りに出た。

ツィミスキ通りから広いアリストテルス通りを南へ。
通りの両側の建物は、柱廊になっていた。
ツーリスト・インフォメーションが広場の真ん中にあった。
広場の形に沿った建物。建物は変わっても柱廊は統一されている。
ここが⑬アリストテルス広場
1/4円の建物が2つ左右対称に広場を囲んでいる。
柱廊にはカフェのテーブルが並び、時間があれば是非ゆっくりしたいところだった。
10㎞とも言われる海岸線を眺める。
夕食の時刻が迫っているので、先を急いだ。

テッサロニキ4 アギオス・ディミトリオス聖堂2 クリプト
                 →テッサロニキ6 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 フレスコ画

関連項目
バシリカ式聖堂の起源はローマ時代のバシリカ
イコノクラスム以前のモザイク壁画2 破壊を免れたもの
テッサロニキ9 アギア・ソフィア聖堂
テッサロニキ8 パナギア・アヒロピイトス聖堂3 モザイク2
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1
テッサロニキ3 アギオス・ディミトリオス聖堂1  モザイクとフレスコ
テッサロニキ2 ビザンティン時代の城壁
テッサロニキ1 ガレリウス帝の記念門と墓廟

※参考文献
「ビザンティン美術への旅」 赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社
「地中海紀行 ビザンティンでいこう!」 益田朋幸 1996年 東京書籍