お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年1月20日月曜日

テッサロニキ9 アギア・ソフィア聖堂


パナギア・アヒロピイトス聖堂の少し南にアギア・ソフィア聖堂があった。アヒロピイトス聖堂同様、当時の地面より現在は高くなっているので、掘り下げて建てられているかのようだ。

この部分的に残っている門(お寺の三門みたい)をくぐるのだが、その後は階段を降りるので、この門は後世、今の地面の高さなった時代に造られたものだろう。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、アギア・ソフィアのあたりが旧市街の中心であるというが、繁華街は終わり、住宅街となる辺りだったと思う。


ここは初期キリスト教会には珍しく、中央に出入口があった。入る前に鐘楼発見。
入口両側には円柱とアーチがあり、赤い漆喰とレンガだけの、要塞のような外観からは想像できない重厚さだ。
アカンサスと五弁花を交互に配したアーチと、アカンサスの大きな葉を横に並べた外輪、コリントス式に見えないが、アカンサスの葉の柱頭、その間に楣石はなく、小さなエンタブラチュアがのっている。古材の再利用かな。 
内部はここも撮影禁止。やはり今でも住民の信仰の場だった。

平面図
ギリシア十字式聖堂、あるいは内接十字型聖堂と呼ばれるプラン。鐘楼は後世に建てられたようで、この平面図にはない。
同書は、現在見る建築は7世紀前半中頃の建立という。

中に入ると身廊への通路はロープが張られていた。先ほど見学したアヒロピイトス聖堂よりも窓が小さいためか、堂内は暗かった。
左側廊側から回り込み、アプシスを見上げる。内接十字型のため、ドームがあっても内部は暗かった。幼子を抱いた聖母はテンプロンの向こうの金地に浮かんでいた。

同書は、アプシスは金地の中に座る聖母子。この場所にはイコノクラスム期間中の8世紀末、十字架が表されていたが、イコノクラスム終結後に現在の図像に変えられたものである。よく見ると聖母子の背後に十字架の形状を見て取ることができる。聖母子の上半身は12世紀に大きく修復されたという。
9世紀といえばコンスタンティノープルのアギア・ソフィアの聖母子像と同じ頃のものだが、だいぶ違うなと思って見ていた。12世紀のものならば、違って当たり前だ。
十字架の痕跡も気付かなかった。せっかく行ったのに、何を見ていたのだろう。

同書は、ベーマ天井の十字架メダイヨンは8世紀末の作という。
十字架は四方に光を放ち、計8本の帯の間に2つずつ星がある。イコノクラスム期のもの。
5世紀のアヒロピイトス聖堂の光を放つ十字架は、8世紀末にはこのようになった。

続いてドームを見上げる。

同書は、大型のドームには「キリストの昇天」のモザイク(9世紀)が描かれる。人体の描写は輪郭線の強い図式的な様式だが、力強いことこのうえない。主の昇天を見守る弟子たちの、思い思いのポーズ、弟子たちの間で金色に輝く木々、そして不可思議な色と形状を見せる地面。ビザンティン聖堂のドームははじめこのように「昇天」で飾られていたが、9世紀頃から次第に物語性のないパントクラトールにとって代わられるようになる。「昇天」はベーマ天井に「格下げ」となるが、ここアギア・ソフィアは古い図像配置が採用されているという。
9世紀といえば、イコノクラスムが終結する前か後かという疑問が残る。コンスタンティノープルのアギア・ソフィア後陣の聖母子像より前なのか、後なのか?
写真撮影ができていたら、この聖母の顔や姿をアヤソフィアの聖母と比べることもできたのに。こういう時のために、双眼鏡は持っていくべきだった。

輪郭に隈取りを施して立体的に描かれた樹木をみても、かなり自然主義的な表現のようだが、岩か山か地面かわからないが、他に類を見ない妙な表現だ。

後日、中心街で昼食後レストラン付近を散策していると、道路の向こうにレンガ造りの大きな建物があった。最初は気付かなかったが、これがアギア・ソフィア聖堂の南面だったのだ。
外観は、5世紀創建当時のままに再建されたというアギオス・ディミトリオス聖堂や、5世紀創建当時の姿を残すパナギア・アヒロピイトス聖堂とは異なり、窓が小さく少ない。
6世紀のコンスタンティノープルのアギア・ソフィア大聖堂は窓が多かったのに、7世紀のテッサロニキのアギア・ソフィアは窓が少ない。この間にどのような変化があったのだろう。

内接十字型聖堂について、このアギア・ソフィア聖堂よりも古いものを探したが見つからなかった。

テッサロニキ8 パナギア・アヒロピイトス聖堂3 モザイク2
                          →ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓

関連項目
ドームを持つ十字形プラン聖堂の最初は?
マケドニア朝期のモザイク壁画1 アギア・ソフィア大聖堂
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1
テッサロニキ5 アヒロピイトス聖堂まで街歩き
テッサロニキ4 アギオス・ディミトリオス聖堂2 クリプト
テッサロニキ6 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 フレスコ画
テッサロニキ3 アギオス・ディミトリオス聖堂1  モザイクとフレスコ
テッサロニキ2 ビザンティン時代の城壁
テッサロニキ1 ガレリウス帝の記念門と墓廟

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館