お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年2月13日木曜日

ロドス島1 リンドスの遺跡


いよいよエーゲ海の島巡り。ロドス島はギリシア本土よりも、アナトリア半島というかトルコに近い島。
まずは前泊したロドスの町からリンドスへ。途中幾つかのビーチとホテルがあった。

『ギリシア美術紀行』は、ロドスの町から東海岸を南下すること62㎞、リンドスのアクロポリス、巨大な褐色の岩山は海に突き出た岬の先端に聳え立っているという。
下地図の黄色いアクロポリスと書かれているのがその遺跡。

海に突き出た地形を見付ける度にあれがリンドスだろうかと思うこと数回、それまでの出っ張りとは全く違うのが、城壁に囲まれたアクロポリスだった。
岩山の高さは116mほどもある(『図説ギリシア歴史・神話紀行』より)という。
土産物屋の並ぶ白い町の狭い道を通り抜ける頃にアクロポリスの城壁が見えてきた。
岩山のへりを登っていく。午前中は日陰になるので楽。時々海も見えるし。
B:大きな港では、砂浜いっぱいに四角いパラソルが並んでいて、海に入っている人たちもいる。

町外れから10分ほどで城壁の下まで来た。
リンドスのA:アクロポリスはこんな風だったと考えられている(『リンドス』より)
観光客は写真を撮ってはあまり古くなさそうな壁の向こうに向かっていく。
写しているのは岩に大きな船の舳先の浮彫だった。
『図説ギリシア歴史・神話紀行』は、前2世紀の作で、当時のリンドスの繁栄を支えていた高速船の勇姿を、優美でダイナミックな曲線で再現したものである。予想以上に大きく(ヘレニズム期最大の彫刻に数えられる)、異様な迫真力をそなえているという。
その前(画面左手前)に半円形のエクセドラがあるが、これは階段からの方がよくわかる。
⑩ 階段
アクロポリスにはこの階段から入ることになる。
上に見えている建物は、十字軍時代のもののようで、遺跡の年代からははるか後世のもの。左上の建物の窓の上に紋章が残っている。
階段上からの眺め。大きな港はずっと見えていたが、高い所から見下ろすと格別。
入るとすぐに尖頭ヴォールトへ。

暗いトンネルを抜けると中庭風の場所に出た。
右側は城壁と傾斜のある岩場がむき出しのまま。その中に遺構や遺物が散在している。
どちらからでも行けるらしいが、我々は左にある十字軍時代の建物の半円ヴォールトの方へ。
ここも足場は岩がごつごつしている上に、遺物があちこちに残されている。

アクロポリスの平面図。先ほどの想像復元図とは異なり、北が上になっていますが、番号は同じです。
『ギリシア美術紀行』は、神域は大体逆三角形のプランをもち、南の角が一番高く、そこにアテナ・リンダ神殿が位置し、北に行くに従って高さを減じるのに反して、広さを増していく。我々は石の階段を昇って、その逆三角形の北側上辺の西隅に取り付くことになる。神域のこうした自然の段丘(テラス)を利用して、ドラマティックなセッティングに神域全体を構成することによって、統一的美的景観を作り出しているのである。これはヘレニズムの建築史に特有な現象である。その際それを可能にしたものに、ヘレニズム時代に徹底的に利用され、一大発展を遂げた建築単位としての列柱廊(ストア)がある。伸縮屈折の自由自在なストアが建築群に秩序と調和と全体的統一感を付与するのにいかに重要な役割を演じたか、リンドスにおいても例外ではないという。
トンネルを抜けると城壁の欠けた部分からエーゲ海がのぞいていた。

⑧ 拡張されたテラス(前1世紀)へ。

左の平らなところが⑦テラス、⑤ドーリス式ストアの東翼に円柱が数本残っている。
⑧ アーチの並ぶテラスを支える建造物
その間の階段を上へ上へ。
階段を上がると、青空に広々とした空間が広がって気分がよい。

⑥ ドーリス式ストアの前のテラス 10X68m
北西の端にキリスト教聖堂らしき建物があった。その奥の円柱はドーリス式ストアの西翼の列柱。
④ 32段の大階段

⑤ ドーリス式ストア ドーリス式柱42本 前200年頃
大階段の更に左右に広がっていた。
『古代ギリシア遺跡事典』は、前3世紀の末から2世紀の初めに、神域の入口には大きな列柱廊が築かれた。その結果、アテナ・リンディアの神域はペルガモンの大祭壇を彷彿とさせる壮麗な外観を呈するようになったが、これもロドスとペルガモンとのライバル関係を暗示しているという。
ペルガモンの大祭壇は現在はベルリンのペルガモン博物館に収蔵されている、列柱の下側に高浮彫が施され、コの字形で、やはり中央に大階段があるが、こちらの方が広いような気がする。 
『ギリシア美術紀行』は、リンドスの一大景観は、そのプロピュライアに至る32段の大階段を自らの内に包摂しながら、東西88mにも伸びている列柱廊(ストア)によって達成されているストアは東西の翼を北前方に張り出し、そこに広大な人工のテラスを抱えているという。
大階段を登りきって振り返ると、他の人たちも振り返って海を眺めていた。

右手にはドーリス式ストアの東翼の数本の列柱があり、その奥では⑨ディオクレティアヌス皇帝の神殿(後3世紀)の復元作業が行われていた。
右にドーリス式ストアの西端。列柱と修復作業のための建屋がある。
その奥が十字軍時代の建物で、目の前の黒いごつごつした岩の地面が段々低くなり、出入口への通路となっている。
③プロピュライアや②祭壇のある中庭などがあった場所

足元に敷石の列が残るのみ
これが中庭の区画かな。

① アテナ・リンダ神殿 前後4柱ドーリス式 7.80X22.40m 前330年頃建立
『ギリシア美術紀行』は、旧神殿が前342年の火災で焼失した後、それと同じ場所に、ほぼ同じ規模で建立されたものである。旧神殿は前6世紀後半の僭主で、七賢人の一人にも数え上げられているクレオプロスが建て、シュノイキアのあった前408年後に改築されていた。その改築の折プロピュライアも作られたと考えられるという。
ここも中には入れない。
現地にあった説明パネルの想像復元図
オリンピアのゼウス神殿(前457年頃)などのように周柱型ではない。

後は周囲の景色を眺めるだけ。

B:大きな港
こちらは道中よく見えた。小さな漁船とそれよりは大きな帆船はずっと動かない。

C:小さな港
ここからは岩が途切れることなく続いているようにしか見えないが、ここも港。
南側の小さな浜辺にもパラソルが並んでいる。

朝の幾分涼しい内に遺跡の見学をして、午後からは浜辺でのんびりする。そんなバカンスを楽しむ余裕はなく、リンドスを後にした。

                    →ロドス島2 ロドス旧市街周辺

関連項目
ロドス島7 ヨハネ騎士団長の館2
ロドス島6 ヨハネ騎士団長の館1
ロドス島5 旧市街を街歩き2
ロドス島4 旧市街を街歩き1
ロドス島3 旧市街へはアンボワズ門から

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「LINDOS」 NANNO MARINATOS ATHENS
「図説ギリシア 歴史・神話紀行」 巖谷國士 2004年 河出書房新社
「地球の歩き方A24 ギリシアとエーゲ海の島々&キプロス」 ’13-’14年版 ダイヤモンド社