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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年2月12日水曜日

古代マケドニアの遺跡10 マケドニアの金製品


ヴェルギナのメガリ・トゥンバで第3墳墓(王子の墓、前4世紀後半)に副葬された金製花冠を見た。花冠とはいうが、金の薄板で象った大量の葉っぱを付けたものだった。葉はナラのようで、オリンピアではオリーブの輪っかだったものが、ヴェルギナではナラの葉のついた枝を輪っかにして頭に飾ったのかなとも思える。それにしてもこの立体的な冠!

また、ペラ考古博物館では、大理石製の櫃の中に木製の骨箱と2連の金製花冠が納められていた(説明パネルを写し忘れたため、墓や墓主、時代については不明)。
そのオリーブと思われる花冠
同じコーナーに約12枚のナラの葉。カメラが違うので色は悪いが、金の薄板を葉の形に切ったもの。
そして、歩揺のたくさん付いた胸飾と耳飾りも。

葉っぱを吊り下げた首飾り 前4世紀後半 デルヴェニZ(女性)墓出土 
『GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE』(以下『GUIDE』)は、ウクライナの墓で発見されたものと似ている。驚くほど高度な技術で制作されているという。

しかし、マケドニアはアクシオス川で砂金が採れて豊かだったという当時の様子を実感したのは、テッサロニキ考古博物館だった。
残念ながら、暗くてどうしてもピントが合わない。

花冠だけでなく、様々なものが金でつくられていた。もちろん銀器も豊富だった。
ケース中程にあるのは、

装飾品 前4世紀末 金 スタヴロウポリス出土 
鳳凰のような鳥が向かい合っているように見えた。 尾が枝分かれしながら巻きひげをたくさん出して、一番端はアンテミアとなっている。
同書は、金製花の装飾品、複雑に入り組んだ繊細な巻きひげとパルメットは象牙の部分に取り付けられ、ているという。
象牙にはりついた箇所に2羽の鳥が向かい合っているとは考えられていないようだ。
確かに鳥ではなく、アカンサスの3枚の葉だった。アカンサス唐草の金細工が左右対称に象牙に取り付けられていたのだった。

デルヴェニB墓(男性の墓)から出土した金冠をはじめ、様々な副葬品が展示されていた。
同書は、小さなアレクサンドロスの金貨は死者がアケロウシア湖を渡りハデス(黄泉の国)に行く時にカロン(スティクス川の渡し守)に支払う通行料であるという。さてどれでしょう?
B138 ギンバイカの花冠 金
ギンバイカの葉と小さな実だけの花冠。ギンバイカの花冠はたくさん見た。梅のような花がついたものもあった。それについては後日

B45 透明ガラスのコップ
このような突起のあるガラスは、起源後にローマあるいはササン朝でつくられたものと思っていた。鋳造で作ることができるのだろうが、ちょっとぴっくり。
アケメネス朝(前5-4世紀)の獅子頭形杯を作る技術があれば、このようなガラス器も作れただろう。ひょっとするとアケメネス朝からの将来品かも。
ディアデム
金色には撮れなかったが、なんとかピントは合っていた。
装飾的なアンテミアを中央におき、左右に蔓を伸ばしている。控えめな巻きひげからはアンテミアが出て、アカンサスの葉のない、珍しい唐草文となっている。

そして別のケースには、蔦の花冠があった。

蔦冠 前350-325年頃 金 ギリシア、アポロニア出土 径33.0㎝ テッサロニキ考古博物館蔵
『アレクサンドロスと東西文明の交流展図録』は、2本の細長い筒が蔦の茎を表し、後方ではその筒が重ね合わされ、前方では細い針金のみでつなぎ留められ、1つの金の冠を形作る。筒の部分からは細い針金の葉柄が延びており、薄い金箔を切り抜いて作られた葉がその先につく。小さな球が19個接合された実が2房、冠の正面部分を飾るという。 
この花冠、10年も前に日本で見ていたのだった。
テッサロニキ考古博物館で購入した本の1冊の表紙が、この蔦の花冠を首に巻いたアレクサンドロス大王の頭部。

アレクサンドロス大王頭部 ペラ近郊のヤンニッツァで偶然に出土 大理石 高30.5㎝ ヘレニズム時代(前4世紀末-前3世紀初頭) ペラ考古博物館蔵
同書は、長い髪のこの大王像は、理想化されたパトスを表した典型的英雄像である。しかし、前3世紀半ば-前2世紀前半に見られるような誇張された劇的表現ではなく、顔貌のつくりが丁寧で、眼窩の奥深くに目が位置し、頭骨表面を柔らかい皮膚が覆う表現などから、本作品が前4世紀末から前3世紀初頭に制作されたことがわかるという。 
この大きな金の粒が気になったが、やっと同書の大きな図版で、それぞれの粒に凹みが見えて、粒金ではないことが判明。

もちろん粒金細工の装飾品も数多く展示されていた。実物を見る前に、パネルが並んでいたが、作り方も付け方も、書籍にもパネルにも記されていない。
ガイドのパティさんに聞くと、金を溶かしてできたばかりのもの熱い内に並べていくので、接着剤は要らないという。
でも、それでは球形の形が崩れるのでは?
帰国後、知り合いの爺さんにその話をすると、テレビで金の粉のようなものを粒金とくっつける土台に撒いて、バーナーで熱したら粉だけが熔けて熔着していたのだそうな。なるほど、それなら接着剤の痕跡もないし、熔着がしっかりしていると、時代を経ても劣化して金の粒がぽろぽろ剥落することもないのか。
そう言えば、複数の書物に「鑞付け」と金偏で書かれていた。このことだったのかも。

粒金の装飾品のコーナーも複数あったが、ほぼピンボケ・・・

粒金の装飾品についても後日

  
          ペラ考古博物館3 ガラス

関連項目
正倉院の白瑠璃碗はササンかローマか
田上恵美子氏のすきとおるいのちと透明ガラス
ヴェルギナ1 大墳丘にフィリポス2世の墓

※参考文献
「ベルギナ 考古学遺跡の散策」 ディアナ・ザフィロプルー 2004年 考古学遺跡領収基金出版(日本語版)
「GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF THESSALONIKE」 JULIAVOKOTOPOULOU 1996年 KAPON EDITIONS
「GREEK CIVILIZATION MACEDONA KINGDOM OF ALEXANDER THE GREAT」 GREEK MINISTRY OF CULTURE 1993年 KAPON EDITIONS
「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録」 2003年 NHK