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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年3月17日月曜日

クレタ島4 クノッソス宮殿4

クノッソス宮殿は10:中央宮廷を挟んで西翼と東翼の建物がある。

東翼の大階段の南側を見学する。

27:東翼大階段の南側にあった屋根が架かった遺構は、10:中央宮廷の南東の斜路に沿っている。
28 双斧の礼拝所 宮殿時代以降(前1400-1100年頃)
『クノッソスミノア文明』は、壁に沿って据えられた低い棚の上に、2つの「聖なる牛の角」、その隣に粘土製の女神の像と礼拝者たちの像が置かれていた。この礼拝所は、宮殿以後に年代づけられるという。
双斧については29 生贄に捧げられた雄牛の家跡
双斧の礼拝所と屋根の架かった一連の遺構へは、南から遠回りしていく。

30 清めの場
同書は、この部屋は王座の間内の半地下スペースと類似した構造を有すという。
19:王座の間と列柱で隔てられた清めの場の画像はこちら
上階から見下ろした画像はこちら

祭司たちは、双斧の礼拝所へ行く前にここで身を浄めたのだろう。
これらの遺構の東側には排水路が残っている。背後の屋根は27:東翼大階段
ロープが張ってあるので、高い位置から次の見学先に回り込んでいると、赤い柱のある開口部と狭い勝手口のようなものが見えた。
31 王妃の間
南開口部にある明かり採りの赤い柱も黒い柱頭も角張っている。
階段を下りて、34:王の間のそばの通路を通って、先ほどの明かり採りの方へ。
王妃の間は、この部屋の二方(東側と南がわ)に明かり採りが備えつけられている。東側の明かり採りに面する2本の円柱の基台は良い状態で保たれている。部屋の床の一部がはがされて床層があらわになっているので、時代により床敷きの仕方が異なっていることが一目で見てとれる。最も古い最下部の床は未加工の石、中間部は形の不揃いな石板(モザイク敷きと言われる)、そして最上部は整然と四角形に切られた石膏石板で敷かれているという。
内部に入ることが出来ないので、時代別の床の敷き方まではわからなかった。 

イルカの壁画と、北側の角柱の連珠文というよりは連続花文が、室内を明るくしている。
渦巻き模様のフリーズはミノア時代の末につけ加えられたという。

連続渦文よりも、連続花文の方が古いらしい。
左側の腰壁の向こうの部屋は王妃の浴室という。

32 王妃の浴室
見つかった破片から復元されている浴槽は、他の浴槽と同様にかなり小型である。壁には長方形の石膏石板が張られていて、石板の上は単色フリーズで装飾されていたという。

ヨーロッパの浴槽の原型がすでにクレタにあったとは。
イルカの壁画 新宮殿期(前1700-1400年頃)
他に小魚やウニなどの海中に棲む生き物が描かれているという。

海面から海を眺めているように、波の網状の模様が、デザイン化されることなく描き込まれている。
東側の壁面上部に描かれた婦人像。

踊り子の画
踊りながら回転した勢いで髪が舞い上がったように見えるという。
実物はイラクリオン考古博物館にあったが、三重のスカートは他の女性像から想像したものかな。

33 王妃の間前室
王妃の間の東側の赤い角柱と、外側の黒い円柱の間の小部屋。壺などが出土したらしいのを、勝手口状の戸口の隙間からのぞき込む。
光が射し込んでいるのは、建物の外側からではなく、明かり採りの空間になっていたらしく、その外側の壁に沿って通ったのだった。

その外壁を回り込んで王の間へ。

34 王の間
王に謁見するための間であったとみられているという。

王の間南面
外側には黒い列柱、明かり採りのために角柱と貫を組み合わせた開口部がある。
その間の通路にも石材が敷かれていたのに、壊れた部分をよく見ていなかった。
王の間の明かり採りの外は今は開かれた空間。左向こうに王妃の間の明かり採りの外壁が見えている。
かつては黒い列柱の外側にも壁があったらしいことが平面図からわかる。
王の間東面
どちらからも円柱の外から、ガラスまたはアクリル板で更に隔てられた室内を見なければならない。
連続渦文とその下に木製の玉座がある。
エヴァンスは、ここにも木製の王座を置いたという。
王に謁見するための間であったとみられている。北側の壁に石灰化した石膏石(王座の跡かもしれない)と、その上部に天蓋(円柱で支えられて座の上に張られていた)の一部であったとみられる木の跡が残っている。
ミノア時代には、この壁には8つの牛皮製の楯がかけられていたようだ。この部屋は最も贅を凝らした部屋のひとつであるという。
27:東翼大階段から見えた8の字形楯は、ミノア時代にもあったのだ。
35 双斧の間
東側から見た王の間の仕切りの奥にあるのが双斧の間で、その奥(西)も明かり採りになっている。
この部屋の西側の明かり採りを形成しているブロック(切り石)に「双斧」のシンボルが刻み込まれていることから、「双斧の間」と呼ばれている。
この2つの部屋は、間仕切りのような機能を有する続き扉(ポリシラ)で仕切られている。全部の扉を開けると2つの部屋はひと続きの大広間になる
という。

この状態で大広間になっているのだろう。
見学が終わったら、東側から北へと抜ける。
27:東翼大階段から下に続く遺構。
地階を含めて5階建てであったという。


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関連項目
アテネ国立考古博物館 ミケーネ3 瓢箪形の楯は8の字型楯
クレタ島1 クノッソス宮殿1
クレタ島2 クノッソス宮殿2
クレタ島6 イラクリオンを海辺まで街歩き
イラクリオン考古博物館8 双斧って何?

※参考文献
「クノッソス ミノア文明」 ソソ・ロギアードウ・プラトノス I.MATHIOULAKIS
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「名画への旅1 美の誕生 先史・古代Ⅰ」 木村重信・高階秀爾・樺山紘一 1994年 講談社