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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年8月17日月曜日

レギスタン広場3 ティリャカリ・メドレセ


レギスタン広場

レギスタン広場で最も目立つのは、正面の青い大きなドームが一つあるティリャカリ・メドレセ。
レギスタン広場に最後に建てられたのはティリャカリ・メドレセである
 『シルクロード建築考』は、シル・ドルの完成後、10年たって1647年に、同じヤラングトゥシュが、いっそうの華麗さを求めて、金色の多い文様に仕上げたために、世にこのモスク兼用の学林を゛鍍金された゛「ティリャ・カリ」のメドレッセといわれているという。
イーワーン上の植物文は、トルコ・ブルーの一重の蔓草が渦巻き、白色と黄色の蔓がそれぞれの茎を伸ばす。その中心には8点星から作られたようなロゼット文をモザイク・タイルで作り上げている。
イーワーンの縁飾りは、絵付けタイルを螺旋状に巻くように貼っている。
イーワーン上部はアーチ・ネットの線が強調されていて、これもモザイク・タイル。
イーワーンの縁飾りは遠目には地味な色使いだが、黄色や赤が使われていた。

透かし窓。
アップで写すと、モザイク・タイルだった。

左側から入って行く。
暗いが腰羽目やアーチはバンナーイによって装飾されている。

中庭から玄関の門構えの裏側
右壁には、上からロープで吊した腰掛けに坐って修復をしている人がいた。
通常は二階建てのフジュラが中庭を巡るが、ここは創建当初から一階だけだったという。

中庭から大きな二重殻ドームを戴くモスクへ。
二重殻ドームの内側ドームは、一般的にはある程度半球に近い形になっているが、このドームはほとんど平らになっている。
正方形、八角形、十六角形、三十二角形、円形へと細かく移行させている。
更に数段のムカルナスで持ち送り、円形の平ドームを架けている。
スキンチ内部の拡大
磁器に赤い釉薬や金を施した金襴手のような質感。三角状のところには不揃いな金箔を貼ったよう。
ドームからミフラーブまで。右端にミンバル(説教壇)
細かく見ていくと赤い色が目立つが、全体に金と青だけの世界のよう。
ミンバルは石製

モスクの柱廊には出土品が展示されている。
浮彫施釉タイル
かなり深く彫り込んでいるというか高浮彫だが、これは笵型成形
浅い浮彫タイルの笵型かな
モザイク・タイル
一重の蔓草が渦巻き、その上にアラビア文字の銘文が白で表される。
絵付けタイル
4枚で10点星の形をつくっている。
こんな形のタイルも。きっとイーワーンの縁飾り用だろう。

円柱の断片。
下部、上部ともに組紐による幾何学文を浅く彫り出している。

また、ウルグベク・メドレセの北門から眺めると、ティリャカリ・メドレセのドームが、円筒部分の高い二重殻ドームというだけでなく、正方形壁面から円筒へと移行する部分がはっきりと現れていた。
裏に回ってみると、ミフラーブが周壁よりも突き出ている。
その少し上に正方形、続いて四隅が面取りになった正方形、そして八角形と、段々になっている。
このような造りが外から見えるのは、フジュラ(学生寮)が一階しかないからだろう。

         レギスタン広場2 シルドル・メドレッセ
          →サマルカンドで街歩き1 レギスタン広場からシアブ・バザールへ

関連項目
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
イーワーンの上では2本の蔓が渦巻く
レギスタン広場1 ウルグベク・メドレセ


※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術