お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年9月21日月曜日

シャフリサブス5 ティムールの棺 


4:ジャハンギール廟を出て少し東へいくと、5:ティムールの棺がある。

その間の空き地には建物の基礎が復元されている。

その奥にいくと、
小さな小屋のような建物があり、
扉からすぐにある階段を下りていくと、
すると目の前に石棺が。
アムール・ティムールはここに葬られることを願ったが、サマルカンドのグル・エミール廟に埋葬されたのだった。
蓋の周縁にはアラビア文字が彫られている。
そして向こう側には、このように開いた葉のようなものが浮彫されている。
気になるこの把手のような金属は、ライオンに見える。

しかしながら、私が一番気になったのは石棺ではない。この天井だった。
尖頭アーチが4つ。その頂点を繋いで正方形とし、各角に平たい三角の薄板を載せ、その上に8つの三角状の板石を斜めにのせて、平らなドームのようにしている。
四隅が三角になているのは、ラテルネンデッケのようでもある。

空墓付近からジャハンギール廟を眺めるが木が邪魔で、ファサードのムカルナスのイーワーンが3つ並んでいるのは撮れなかった。
この広大な敷地は公園として整備中。若い樹木が植えられている。
その中に実をたくさん付けている木が。桑の木だった。中には熟したものも。
昔、ウチの地方は養蚕が盛んで、桑の木がたくさんありました。実を採って食べながら学校から帰ったものです。どどめって言ってましたよ
ある人が思わず口にした言葉が記憶に残った。どどめ色って、桑の実の熟した色だったんだ。
桑の木など見かけない地方に育った私には、何とも羨ましい話だった。せめてこの実でも食べてみたかったな。
木だけでなく、小さいがチョルス(円形の商業施設)のような建物も。
ここは八角形の池になるとか。
向こうでは通路の工事中。遠くに目をやるとアク・サライ宮殿の門が。
階段の隣の建物には土産物屋が並ぶんだろうな。
ドルティラワット建築群の外壁にこんな完成予想図があった。
2つの建物群よりも公園の方が立派!でも、観光客だけでなく、シャフリサブスにスム人々の憩いの場になるのなら、ここもオアシスかも。
右下の空撮を拡大すると、ジャハンギール廟の回りにあった建物の基礎部分が広大なものだったことがよくわかる。メドレセがあったのかも。
それだけではない。見学していても全く気付かなかったが、この建物群の周囲には、民家がひしめき合っている。かなり入り組んで、敷地の形はそれぞれだが、共通するのは中庭があること。
きとサマルカンドで歩いた地域でも、上から見るとこんな風に中庭がある家々が、通路に区切られた区画にびっしりと詰まっていたのだろう。


          シャフリサブス4 ジャハンギール廟
                        →シャフリサブス6 コク・グンバズ・モスク

関連項目
シャフリサブス3 ハズレディ・イマーム・モスク
シャフリサブス2 アク・サライ宮殿
シャフリサブス1 アク・サライ宮殿の門へ

参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 アレクセイ・アラポフ 2010年