お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年10月12日月曜日

ウズベキスタンの真珠サーマーン廟2 内部も美しい


内部に入ると、思ったよりも狭い。墓は新しく設置されたものだという。

『シルクロード建築考』は、縦10.8mに横10.7m、壁面の高さ10.05mという立方体に近いこの建築は、一見したところ、外形処理の焼平煉瓦によって構成されている。
廟の内部は、正方形で7.2m四方、壁体の厚さは1.8mという。
この断面図を見ると、4つの小さな円蓋は、側壁の周廊部から中空になって、外に張り出していた。
側壁は3.6mもの厚さがあり、内外の表面は焼成レンガを組み合わせて美しい文様をつくっているが、同書は、一般的にいってこの建築は、煉瓦造とはいえ、構造的にはコンクリート造を主体にした煉瓦積外装の建築である。つまり、外皮化粧をコンクリート打ちの型枠としても利用した煉瓦造の装飾壁面になっているという。
古代ローマ時代の焼成レンガや石を積みあげたように見えるローマン・コンクリートと呼ばれる工法と同じである。
それについて詳しくはこちら

同書は、正方形の壁体に円形のドームを架けるための四隅は、スキンチと呼ばれる三角隅部分の構造処理が、無理のない力学的な効果を与えている。つまり、ドームと歪みのあるアーチとの組み合わせによって、ドームの荷重を壁体の下部に分散させようとする工夫である。いわば扶壁と歪みアーチとの混成、いいかえれば、バットレスの巧みな技法であるという。
平面図で小さな円蓋と四隅の付け柱の位置関係がわかった。

『イスラーム建築の世界史』は、サーマーン廟は四角い平面に半球形のドームを架けた焼成煉瓦の建築という。
ドームの直径は7.2mで半球形ならば、ドームの内側の高さは3.6mということになる。
外側が周廊になっている所の内側には、正方形の四隅がスキンチとなり、8つのアーチのある八角形の段となっている。この8つのアーチの上部には、一対の丸い装飾がある。そして、アーチとアーチを隔てるのは付け柱で、その柱はそれぞれ十六角形の一辺を支えている。
四壁中央に開かれた開口部から差し込む光と、移行部の透彫のようなレンガ積みの隙間から入る光で、内部はほどほどに明るい。その光のおかげで、内部のレンガ積みによる様々な平面装飾を眺めることができる。
実は、午前にグループで一度見学し、午後の休憩時間にも個人的にまたみたくなって訪れた。
風通しのよい内部は涼しく、人は殆ど入ってこない。北側に置かれたベンチに座って、のんびりと文様を眺めてゆったりとした時を過ごしていた。
すると右肩をとんとん叩かれた。廟のチケット売りの女の子が、ベンチに横になって休憩するのに、私がそのベンチに置いていたリュックが邪魔だったらしい。写真は午前に撮影。


開口部上のアーチの文様も、似ているがさまざま。
入口上
平レンガは焼き加減によって多様な色に仕上がっている
南側

移行部北壁
平たいレンガを2枚重ねて、その上下にモルタルで丸みのある形をつける。それを縦横に隙間を作りながら積み上げて、透彫のようになっている。透かし部分は十字形に仕上がっている。
移行部東壁
こちらも同じようにレンガとモルタルで膨らみのある形にし、七宝繋文となっている。
下縁にハトがいるので、部品の大きさが想像できる。

アーチとスキンチ・アーチとの境目の柱身はさすがに土で1本につくって焼いたテラコッタ、柱礎や柱頭との間も焼成レンガ、柱頭は形をつくって焼いたテラコッタ。

これがムカルナスの起源の一つ。
『イスラーム建築の見かた』(2003年)で深見奈緒子氏は、10世紀初頭とされる中央アジアの墓建築サーマーン廟には、ドームを支える四隅のスクインチ・アーチの中に、アーチに囲まれた小曲面が3つある。トンネルを半分にした曲面の両側に、花びら状の小曲面が付く。
ここはドームを載せるための構造的な部分である。まだ1段だけで多層になっていない が、もう一つのムカルナスの祖形と考えられよう。サーマーン廟の小曲面の高さは1.5m、幅80㎝と先のニーシャープール出土の例と比べるとかなり規模が 大きい。加えてその材料は焼成煉瓦で、上部に載る半球形のドームを造る前に一つ一つ積み重ねられ、ドームの土台となっているという。
一方深見氏は、『イスラーム建築の世界史』(2013年)では、四隅のアーチの内側は半アーチ曲線によって区分され、次の時代に進化するムカルナス(鍾乳石飾り)の萌芽的な形とも捉えられるという。
スキンチ・アーチは平レンガで文様を構成しながら形作ったもの、上の壁面も平レンガを矢筈文様に組み合わせている。
確かに、深見氏のいうように、ここでは、ムカルナスと呼ぶような面にはなっていない。荷重を支えられるような面構造ではなく、ムカルナスの形を枠となる、半アーチとスキンチ・アーチの内側の壁面が支える役目を果たしているように見える。
ムカルナスの形の枠に沿って、 長広敏雄氏が分類した雲崗石窟の忍冬唐草文の1群の3に似た蔓草文が巡っている。
その忍冬唐草文は、土に浮彫して焼成したテラコッタである。
こういう風に見ると分かり易いかも。
ムカルナスに見えたものは、枠内を装飾的に埋めているだけのよう。
そういえば、サーマーン廟にはお参りに来た人に祈祷するホジャはいなかった。

         ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観

関連項目
サーマーン廟1 入口周りが後の墓廟やメドレセのファサードに
サーマーン廟2 建築の起源は?
ブハラのサーマーン廟
ムカルナスの起源
ラッブルコア工法の起源はローマン・コンクリート
雲崗石窟の忍冬唐草文

参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店