お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年11月11日水曜日
ブハラ旧市街で街歩き1 タキ・ザルカロン界隈
⑧ミリ・アラブ・メドレセから東へ向かうと、旧市街地区に当たる。
⑨ タキ・ザルカロン
『中央アジアの傑作ブハラ』は、中世のブハラは中央アジア、イラン、インド、ロシア、および中国から商人が来る交易の都市であった。販売をより快適にするために、広場と交差点にはドーム型の多くの建物が建設され、トキ(ドーム)と名付けられた。その一つはトキ・ザルカロン又は宝石職人のドームと言われて、16世紀に建設されたものであるという。
西側のイーワーンから入って行く。
断面図はどの方向からのものか分からないのだが、十字の通路はこのようになっていて、それに小さなドームが多数付属している。
イーワーンそのものが高いのは、商人たちが、ラクダに乗ったままタキを通ることができるようにだとガイドのマリカさんが言っていた。
小ドームを二つくぐると大ドーム。
同書は、トキ・ザルカロンには、八角形の地盤に乗っているドームがあって、外から見ると、16の窓があるプリズムの形をしているという。
その中央の周りには、36の店及びワークショップが並んでいるという。
東側の通路
入ってきた西側の通路。
外にはミリ・アラブ・メドレセの北東角が見えている。
南側の通路
北側の通路
東通路にはスパイス屋。
様々なスパイスを好みに調合してくれて、小さな瓢箪に詰めてくれる。スパイスの袋の前に並んでいるのは、ナンにつける文様のスタンプ。
陶器店もあったと思うが、写真にとっていなかった。
パフタ柄の磁器があればとのぞいたが、陶器しか扱っていなかった。これまでにも通路脇に広げていた店にパフタ柄の茶碗などはあったが、どうも質がいまいちだった。
ブハラの名物に、コウノトリの形をしたハサミというのがある。
東門から出たところで、日本のテレビに出たというおじさんが、「雄と雌」と言って、両手にハサミを持ってアピールしていた。確かにコウノトリのハサミは2種類があった。
その人の店にはハサミだけでなく、ナイフも飾ってあった。
タキ・ザルカロンの東イーワーンから眺めていると、大きなメドレセが目に入った。
⑪アブドゥアジス・ハン・メドレセ 1615-1652年
『中央アジアの傑作ブハラ』は、アシタルハニー族のアブドラジーズ・ハンの命令によって、ウルグベク・メドレセの正反対に新しいメドレセが建設された。このブハラのハンは、バルヒからインドの軍隊を追放したことで有名であった。新しい建物は、ハンの名誉と威力を宣言するはずであった。このメドレセは、ミリ・アラブ・メドレセを模して造られたもので、高い入り口、正面には2つのドーム型のホール、その周りに二階建てのフジュラ、中庭に4つのイーワーン、建物の各角に丸い塔があった。
面積は60X48㎡である。その東北の角に教室があって、西北の角には、冬用のモスクがあった。ミヒラブと夏用のモスクは、南のイーワーンにあるという。
北東のミナレットにはコウノトリの巣が。
その北側はウルグベク・メドレセだった。
⑩ ウルグベク・メドレセ 1420年創建、1586年再建
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、ブハラのウルグベク・メドレセはアミール・チムールの孫であるウルグベク(1449年死去)が建てた3つのメドレセの最初の建造物であった。残りの2つのメドレセはサマルカンドとギジュドヴァンで建設され、工事は1420年に終了したという。
サマルカンドのウルグベク・メドレセについてはこちら
『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、ティムールの孫のウルグベク(1394-1449)が1418年に創設した中央アジア最古の神学校。
ウルグベクは、ティムール亡き後、良くこの圀を治めたが、優れた詩人・天文学者としても世界的に有名だった。また信仰心も厚く各地に神学校を造っている。この扉には「ムスリムにとって最も大切なのは学ぼうという心」「アラーを信ずるものは常に神の祝福を受ける」という彼の銘文が書かれているという。
このような歴史的な建物に土産物屋が店を広げているのは、ウズベキスタンでは普通のこと。そんなものだと思えば気にもならない。
スザニがたくさん広げてあるが、質の良いものは、タキの店舗にある。
16世紀後半の再建ということで、タイルはモザイク・タイル風に文様をつくってはいるものの、絵付けタイルである。それでも一重に渦巻く蔓草文が描かれている。
それにしても、濃いコバルトブルーと薄いものがあるが、どちらが古いのだろう。
透かし窓の左側の通路から中庭へ。2階のフジュラ(寮)は中庭側に扉口があって、どこから部屋に入るのだろうと不思議だったが、仕切りの壁に開口部があった。
『中央アジアの傑作ブハラ』は、建物には、2階のフジュラ、教室、及びモスクがある。正面は、入り口、二階建てのロッジア、及び以前はミナレットの形をしていた角の塔で構成されている。教室の上には、今はなくなっている4つのドームがあった。1586年、アブドラ・ハン2世の治世にメドレセは再建されたという。
北のイーワーンにはムカルナスがあるが、漆喰で造られた、浮彫装飾のようなもので、軀体とは全く関係のない、装飾のためだけのものであることが、その傷んだ部分が示している。
南側のイーワーン
ウルグベク・メドレセからタキ・ザルカロンを眺める。
南イーワーンまでのところにも小さな入口があるようだ。それとも店舗の軒先かな。36もの店が入っていたということだから、中央の十字の道の他に、たくさんの通路があるはず。
集合時間までまだ余裕があるので、街歩きを続けてみよう。
⑪アブドゥアジス・ハン・メドレセの西壁に沿って歩いて、
南側へ。
そのまま進んで、大きな建物の裏側を通って行くと、
いきなり見慣れない町に入り込んだような光景が目の前に現れた。
周囲の建物の地盤よりも低い一角には、建築用の材料が積まれ、その間に羊が飼われているのだった。その上、柵の手前には鶏が走り回っている。
ここは郊外ではなく、旧市街のはずなのに。
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→ブハラ旧市街で街歩き2 タキ・テルパック・フルション界隈
関連項目
ブハラ旧市街で街歩き3 タキ・サラフォン界隈
レギスタン広場1 ウルグベク・メドレセ
ウズベキスタンのイーワーンの変遷
イーワーンの変遷
※参考文献
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 アレクセイ・アラポフ 2010年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版