お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2015年12月17日木曜日

クニャ・アルク3 アク・シェイフ・ババの見張り台


ヒヴァのイチャン・カラの地図

クニャ・アルク、D:謁見の間からF:アク・シェイフ・ババへ。

謁見の間中庭の北側左の扉口から、
E:次の間に入ってすぐに左の建物へ。
宮殿の台所だったのだろうか、階段のへりにパン焼き窯が。
室内には何もなく、奥に低い階段が、
その先で右に曲がっている。
階段を抜けると城壁の監視塔だった。
銃眼は色んな形で高さもいろいろ。
左側に向きを変えると見えてきたのがアク・シェイフ・ババの見張り台。
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、謁見の間(クリニシュ・ハナ)の北西の角には、アク・シェイフ・ボボにある婦人部屋まで続く通路がある。これは監視塔として役に立ったクニャ・アルクの最高点である。伝説によると、このところにアク・シェイフ・ババの独居室があったという。
西門の外から見えた建物だった。
左に折れる階段を登っていくと見張り台の裏に入口が、

でも、見張り台に入口前に、この開けた景色を眺めてしまう。

まず、宿泊している①モハメド・ラヒム・ハンのメドレセとそのミナレット、タイルが全面に貼られたカルタ・ミナーレ。
左奥にヒヴァで一番高いイスラム・ホジャのミナレット。
イスラム・ホジャのミナレットの手前には、パフラヴァン・マフムド廟の青いドーム群。
イスラム・ホジャのミナレットの左に見えるのが、⑨ジュマ・モスクのミナレット。
その左が広場の東側にある⑲モハメド・ラヒム・ハンのメドレセ。
それにしても、どこを向いても地平線の見える平たい土地やなあ。

見張り台に入ってみると、アイワン(柱廊)になっていた。
その前からも町の続きを眺める。
小さなドームがあちこちにあって、それは小規模なメドレセのものだった。正面の横長の黒っぽいものは、どうやら⑬タシュ・ハウリ宮殿らしい。
でも、一番よく視界に入ってくるのは、このクニャ・アルク(古い宮殿)の建物群。
こちらに正面を向いているのは、エミール・トゥラのメドレセみたい。
こちらにもクニャ・アルクの建物が残っているが、壁で遮られてしまった。

見張り台の上から見てみよう。
階段を登ったところに小さな窓。
窓から外を見ると、朝散歩で行ったデシャンカラの⑤ビカジョン・ビカ・メドレセやそのミナレットが見える。左の長方形のプールは西池。
南側の窓からは、オタ・ダルワザ(西門)と城壁、イチャンカラの①モハメド・アミン・ハンのメドレセの西半分。
城壁の途切れている箇所に、アル・ホレズミ像も。


見張り台のアイワンからは、イチャンカラしか見えない。敵が東の方から攻めてくれば、地平線の距離でわかるだろうけど。
さっき見学したD:夏の謁見の間。
東門の手前には小さな一対の塔のあるアイワンが。これがモスク?
その北側には上階がアイワンになった部屋が続いている。ここがおそらくH:後宮だったのでは、と⑬タシュ・ハウリ宮殿を見学して気付いたのだった。右の方にまだ幾つか部屋が続いていた。
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、ハンの婦人部屋は、丘の下に位置し、一つのコラムのアイヴァンといくつかの二階建ての建物からなっていたという。

北側の窓からは城壁がカーブしているのが見えた。

見張り台から城壁の高さまで下りる。
せっかくなので、銃眼の一つから、外界を覗いてみた。


         クニャ・アルク2 謁見の間←     →クニャ・アルク4 モスク

関連項目
クニャ・アルク1 東門から入る


※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT