お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年12月16日水曜日
クニャ・アルク2 謁見の間
クニャ・アルクの中庭を通って真っ直ぐ進むと、目立たない扉口があって、そこから入るとD:謁見の間(クリニシュ・ハナ)になっていた。
『ウズベキスタンの歴史的建造物』は、クリニシュ・ハナは、イラン軍がハン国に侵入した18世紀に破壊された。現在の構造は1804年にイルテザル・ハンが建設したものであるという。
中庭に入って左側を向いて驚いた。そこには青と白のタイルが壁という壁に貼り付けられた別の世界があった。
同書は、2本の円柱のアイワンと玉座がある公式謁見室はクリニシュ・ハナの南部にあるという。
モスクのアイワン(列柱の間)が夏用礼拝所なら、宮殿のアイワンは夏の謁見の間ということでもないのかな。
遠くからでもわかるのは、大きな幾何学文の区画とその中に白で細かな文様が表されていること。
西壁
①区画はなく一面が同じ文様で覆われている。ほとんどが直線の組み合わせ。
南壁のタイル様々
②六角形と6点星の組み合わせに蔓草文
③何と表現すればよいのかわからない幾何学文に植物文
④何重にも渦巻く蔓草文だと思っていたが、蔓が同心円文で表されている。
⑤一番下の壺が並んでいるようなものは、サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群のウスト・アリ・ネセフィ廟などの、腰壁にあったものに似ている。
東壁
⑥8点星、変形六角形などの組み合わせと植物文
クニャ・アルクのタイルについては後日(番号のあるものは、ほぼそのタイルの拡大を記載します)
窓はに木の透彫、ええなあ。
ただし、天井は極彩色の幾何学文や植物文。柱にもびっしりと浮彫が、しかも左右で文様が異なっている。
柱礎は浮彫された石で、やはり左右別々の文様。
右は左右対称に蔓草が展開して編み上げる文様。
左はアラビア文字
同書は、ホレズムの歴史家で詩人のオーガヒーの作品が書かれているという。
扉の一つにも植物文の浮彫が。
玉座の間は狭く白い空間で、四壁は漆喰の浮彫装飾となっている。
見た目よりは彫りが深い。
反対側の壁面にはいろんな形の器が、植物文の透彫のある棚に納められている。こういうのは初めて見た。
そしてアイワンの天井よりは控えめな色の、玉座の間の天井。
中庭には、大きな円形の台座と、そこに至る半円の階段。
同書は、ハンがレセプションの間に座っていたユルトはこの部屋の中心にあったという。
夏はこの円形の台座にユルタを設置して玉座を置き、訪れた客たちをタイルのアイワンに招いて謁見したのだろう。
奥の建物には2つのアイワンがある。家来などが詰めていたのかな。
見学者たちは左の開口部へ入っていき、またこの謁見の間にやって来るのだった。
クニャ・アルク1 東門から入る←
→クニャ・アルク3 アク・シェイフ・ババの見張り台
関連項目
渦巻く蔓草文の絵付けタイルの起源は
クニャ・アルクのタイル1 謁見の間
クニャ・アルク4 モスク
※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 アレクセイ・アラポフ 2010年