お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年1月4日月曜日

ヒヴァのジュマ・モスク1 外からを眺める


ヒヴァのイチャンカラ(内城)の東門と西門を繋ぐメインの通り、中央部に⑨ジュマ・モスク(金曜モスク)がある。

『旅行人ノート⑥』は、10世紀に最初のものが築かれて以来、何度か改築された。現在のものは18世紀の建築。様式はホラズムの伝統を踏襲したものという。
西から見たミナレットとモスクの北壁。
青いタイルの輪が数個ついているミナレットの他は、焼成レンガだけ、向かいの⑩マトパナ・バヤのメドレセのように四隅に塔が出っ張ってもおらず、ドームもない。あるのは壁から突き出た樋くらいという平たい建物。
東壁と南壁。南壁には小さな窓と、中央に少し高くなった所があるくらい。
東壁にも小窓があり、
 扉口があったがここは閉まっている。一対の扉の木彫が見られるのは珍しい。
この扉のモスクは、クニャ・アルクの謁見の間や、タシュ・ハウリのハンの間などにあった、絵付けタイルの壁面装飾に似ている。
私が勝手に木瓜文繋ぎと呼んでいるもので、区画の中には蔓草が左右対称あるいは上下対称に浮彫されている。現在の建物は18世紀ということなので、その時にこの扉がつくられたのならば、こちらの方が古い。
絵付けタイルのモティーフは、このような木彫のものを採り入れたのではないかと思っていたが、やはりそうか。
東側より
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、ジュマ・モスクのミナレットの地盤での長方形は6.2mで、高さは32.5mであるという。
1列ずつ嵌め込まれたトルコブルーのタイル。
中央に蕾のような突起のある浮彫タイルだった。
入口は1本の木柱が支える軒のところ。
ここにも木の扉
浮彫は浅く、文様は不鮮明。
金具が装飾的に付けられた木の扉は初めて見た。

                         →ヒヴァのジュマ・モスク2 内部

関連項目
ヒヴァのジュマ・モスク3 ミナレットに登る

※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人