お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年1月21日木曜日
南門(タシュ・ダルワザ)と古い城壁
ヒヴァのイチャンカラには4つの門がある。朝散歩で西門と東門に行ったので、㉒イスラム・ホジャのミナレットに登ったついでに南門にも行ってみることに。
イスラム・ホジャのミナレットの近くに、南の住宅街に出る開口部があった。
一歩出ると未舗装の道。
振り返るとイスラム・ホジャのミナレット。
ミナレットの右手にあるのがイスラム・ホジャのメドレセのモスク。
これがミナレットから見えたバグバンリ・モスク。:検索すると1809年創建なので、イスラム・ホジャのメドレセよりも100年ほど前に建てられたもの。
ミナレットから見下ろした時と変わらない、ひしゃがったドーム。
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』はジュマ・モスクの円柱について、4つのコラムはバグバンリ・モスクのコラムを思い出させるという。
アイワンの2本の円柱は、装飾的な八角形の柱頭がある。ジュマ・モスクのものは少し違っているが、八角形の柱頭なら2つ見つけていた。あの円柱は18世紀のものだったのだ。
円柱の上の2列の装飾はこれまで見たことのないもので、アイワンの天井も浮彫があるらしい。モスクへの入口がわからなかったので、これ以上近づけなかった。
日中は人気のない住宅街を抜け、
葡萄棚の向こうにミナレットを見つけ、
やがて南門(タシュ・ダルワザ)へ。
城壁は修復されていない箇所もあった。
門に入って見上げる。ウズベキスタンの門の常として2つのドームがある。
外から見た南門
ヒヴァに着いた時は、この門の手前で左折したのだった。
その時は気付かなかったが、城壁の斜面には墓がたくさんある。
『旅行人ノート⑥』は、遊牧民の襲来があったこの地域では不可欠で、現在残っているのは18世紀のもの。高さ約10m、周囲2.2㎞毎に見張り台がある。材質は大部分が日乾し煉瓦、門と望楼の部分のみ焼き煉瓦が使われている。かつては外側の堀に水が満たされていたという。
その堀はどの程度の幅があったのだろう。
その南の道東側には古い城壁が残っていた。ここが曲がり角で、東の方に続いていたらしい。
『旅行人ノート⑥』の地図では、デシャンカラ(外城)を囲んでいたようだ。
その続き
そして南の方はこれで終わり。
真ん中の銃眼胸壁には見張り台が残っている。
その拡大
日干レンガはもはや整然と並んでいない。
→ヒヴァの夕日絶景ポイント
※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人