お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年1月28日木曜日
クニャ・ウルゲンチ2 イル・アルスラン廟
クニャ・ウルゲンチのグルガンジ遺跡の遺構を年代の古いものから見ている。
ホラズム・シャー朝の時代テュルク系、1097-1231年
『旅行人ノート⑥』は、イランまで領土を拡大したホラズムが東方イスラム世界最大の国家となり、その中心都市であったグルガンジが繁栄した時期のもの。この頃も大規模な建築が数多く造られたが、やはりモンゴルによりその大部分が破壊されてしまったという。
② イル・アルスラン廟 IL ARSLAN (FAHR-AD-DI RAZI) MAUSOLEUM 在位1156-72年
同書は、スルタン・テケシュの父親のもので1172年の建設。小さな円錐形の建物という。
ちょうど逆光の頃に見学したので、東側の正面は日陰。
遠くからはドーム部のみトルコブルーのタイルが菱形状の文様を構成している簡素な墓廟に見えたが、ファサードは浮彫レンガの装飾で華やか。
焼成レンガは浮彫でイスリミ(植物文)とアラビア文字の銘文。
ファサード外枠に浮彫されたアラビア文字の銘文には、蔓草が絡む。花か葉か、それとも葡萄の実か、細い蔓に大きく表されている。渦はまいているのかな。
左側に一重に渦巻く蔓草が残っていたがピンボケでこれ以上大きくできない。
内側左の浮彫レンガは、中央から左右対称に渦巻く蔓草文が表され、ヒヴァで見た青と白の絵付けタイルの文様に近い蔓草文様が、12世紀後半にすでに完成していたことがわかった。少ないながら露も確認できる。
木の扉にもイスリミ(植物文)の浮彫。
12世紀に遡るとは思わないが、ここにも左右対称の植物文があった。
中にはイル・アルスランの棺が縦に置かれている。
現地にあった簡素な案内板も逆光で見難い。
その平面図。
正方形の平面に八角形の円筒部、その上にドームがのる。平面図が複雑なのは、正方形の四面に壁龕があるから。
内部のドームが八角形のドームよりずっと低く丸いのは二重殻ドームのため。八角形の各角を微妙に迫り出して2段階で円形にしている。
また、スキンチにはアーチを作らず、4段のムカルナスで八角形となり、ドームを支えている。
不思議な位置から出たムカルナスは、正方形と三角形のテラコッタの平レンガの組み合わせ。
一番下の段はテラコッタが剥落してしまっている。ということは、構造体ではなく、ただの装飾。
2つの四角と2つの三角で蓮の花びら状の形がムカルナスの1単位。それを上すぼまりに積み上げていって、できた隙間の形にあった焼成レンガを嵌め込むと、このようなムカルナスができあがる。
北側のサルドバ(貯水槽)の外からの外観。
八角形の移行部は文様のない焼成レンガだが、窓より上の部分には浮彫か空色嵌め込みタイルによる装飾があったことを思わせる。
空色というよりもトルコブルーのタイルで菱形をつくり、それを無釉の平レンガと青色タイルで重圏状に囲む。その連続させて菱文繋ぎとなっている。施釉タイルが貴重な頃の工夫かな。
クニャ・ウルゲンチ1 クルク・モッラーの丘へ←
→クニャ・ウルゲンチ3 スルタン・テケシュ廟
関連項目
空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝
重量軽減のための二重殻ドーム
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
クニャ・ウルゲンチ4 クトゥルグ・ティムールのミナレット
クニャ・ウルゲンチ5 トゥラベク・ハニム廟
※参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人