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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年2月1日月曜日

クニャ・ウルゲンチ3 スルタン・テケシュ廟


クニャ・ウルゲンチのグルガンジ遺跡で次に古いのは、③スルタン・テケシュ廟。

ホラズム・シャー朝の時代テュルク系、1097-1231年
『旅行人ノート⑥』は、イランまで領土を拡大したホラズムが東方イスラム世界最大の国家となり、その中心都市であったグルガンジが繁栄した時期のもの。この頃も大規模な建築が数多く造られたが、やはりモンゴルによりその大部分が破壊されてしまったという。

③ スルタン・テケシュ廟  SOLTAN TEKESH MAUSOLEUM 1172-1200年
同書は、スルタン・テケシュ廟はホラズムが滅亡した際のハーン、ムハマド2世の父親の霊廟で、12世紀後半のもの。地元の人々からはシャリーフ・シェイフ(聖なるシェイフ)の名で呼ばれ、建立時はマドラサと図書館が付設されていたようだが、現存しないという。
バランスがとれないほど移行部が大きい。遠くに見えるのは②イル・アルスラン廟。
正方形の平面に円筒形、円錐形のドームへと移行する。
円錐形のドームの青が遠くからでもよくわかる。
円筒部は何本もの刳り形が巡っている。
縦長の枠に3つのムカルナスで尖頭アーチを造っているところなど、何故かゴシック様式の聖堂のステンドグラス窓を思わせる。
ここでは明かり取りの窓はなく、中央には小さな青色タイルをちりばめた装飾がある。
ムカルナスのを拡大してみると、等間隔に並んだテラコッタの窪みに小さな青色タイルが残っている。頂部のムカルナスの左右には、平たい半アーチがあった。

ドームは円錐形。一代前の②イル・アルスラン廟よりも建築技術が進んだよう。
青色タイルが網代編み(魚の骨、ヘリンボーン、杉綾文)状に並べてある。上すぼまりになっていく表面に隙間なく貼り付けるための工夫だろうか。
ドームの下部にはイル・アルスラン廟と同じ菱形文も。

内部は修復中で入れなかったが、イル・アルスランと同じように二重殻のドームで、内側から見ると丸い天井になっているだろう。
平面図では、4面中央に開口部があり。そこを入ったところが小さく凹んでいる。
 

イーワーンはムカルナスで構成されている。
半ドーム状ではなく、三角形にくぼんでいるので、のぺっとした感じ。赤を帯びた焼成レンガがオリジナル?
見た目よりも奥行があり、少しだけ青色タイルの装飾があった。
コバルトブルーとトルコブルーの2色が使われている。
テラコッタも含めて3色で三角形をつくり、その底辺には平たいトルコブルーのタイルが貼られている。どうやら左端のものは補修のよう。
ファサード左右の壁は少し出っ張っていて、こんなムカルナス状の帯装飾が施されていた。


修復以前の絵葉書がある。
円筒部分の刳り形は、イラン、レイのトゥグリル・ベクの墓塔(セルジューク朝、1139-40年)に似ている。

      クニャ・ウルゲンチ2 イル・アルスラン廟
                   →クニャ・ウルゲンチ4 クトゥルグ・ティムールのミナレット

関連項目
空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝
重量軽減のための二重殻ドーム
クニャ・ウルゲンチ1 クルク・モッラーの丘へ
クニャ・ウルゲンチ5 トゥラベク・ハニム廟

※参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版