お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2016年6月13日月曜日
アルマトゥイからビシュケクへ
キルギスに行くには、カザフスタンのアルマトゥイ(若い人はアルマティと呼ぶが、現地ガイドがアルマトゥイと言っていたので、馴染みの或るアルマトゥイにした)まで飛行機で夜に到着、翌朝キルギスの首都ビシュケクまでバスの移動となった。
アルマトゥイの市街を出ると、南に雪を戴いた山脈を見ながらの、目の離せない旅となった。
山脈の名はキルギス語でクンゲイ・アラトー、カザフ語ではクンゲイ・アラタウといって、中国の新疆ウイグル自治区から続く天山山脈の支脈の一つという。2のつ国の名称がある通り、この山脈はカザフスタンとキルギスの国境になっている。
やがてクンゲイ・アラトーは遠ざかっていった。
英雄の像を過ぎ去って撮影
古くはない墓地だと思うが、ブハラのサーマン廟のようなドームのあるキャノピー墓や、ミナレットが2つあるモスクのような墓など、それぞれに凝っている。
小さな集落。
あの小さな土の盛り上がりが続いているのは何ですかという問いに、現地ガイドのタラスさんが、以前は電線を地面に這わせて、その上に木の蓋をしていたが、野焼きで燃えてしまうので、最近では土をかけるようになりましたと説明していると、正に野焼きで黒くなった野原に差しかかった。
たまに集落というか、オアシスの緑が現れた。
ひたすら南には山、北には平原が見え続ける。
この大地は土なのか、岩なのかなどと思っていると、切り開いた崖は縦横に亀裂が走る岩だった。
たまには馬がいたりした。
やがて南に新たに雪のあるキルギス・アラトーと呼ばれる、やはり天山山脈の支脈が現れはじめた。
このような高原の木々には鳥がたくさん巣を作っていた。木の下にはピンクの小さな野草が群生している。
トイレ休憩では、ホバリングしながら密を吸うスズメガを見つけたり(花が栽培種なのが残念)、
カザフスタンからイシククル湖へと流れ込むチュー川にある国境を通過。キルギスの潤いのある風景が見えてきた。
そしてビシュケク到着後昼食。
午後はアラトー広場へ。
広場というよりも、広い道路の周囲に大きな建物が立っている感じ。この角に金色のドームがのる大きな建物は、広場を挟んで左右対称に、東側にもある。
車かなりのスピードで行き交う中を、観光客がのんびりとレンタルの三輪車のようなものに乗っていたりする。
北側にキルギスの英雄マナスの銅像と、ユルト(ウズベキスタンではユルタだった)の天井の木組みをデザイン化したキルギスの国旗が。
そしてその北側の国立歴史博物館を見学。
博物館内にはユルトが展示されており、
ユルトの中は、奥に布団を積み上げ、鹿の角などをデザイン化したフェルトの絨毯を敷き詰めた、外からは想像できない色鮮やかな世界だった。
その天井はこのようになっていた。このような遊牧民の家屋の象徴を国旗にして、遊牧民であることを誇りにしているのがキルギスという国なのだ。
博物館を出ると、その南にある金色のドームの向こうに雪をいただく峰々が顔を出していた。これがバスの中から見えたキルギス・アラトー。これもまた天山山脈の支脈という。
→ビシュケクの国立博物館1 石人
※参考文献
「ベルテルスマン世界地図帳」 日本版 普及版 2000年 昭文社