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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年7月4日月曜日

チョン・ケミン渓谷でフラワーウォーキング


チョン・ケミン渓谷(Chong Kemin Valley)のアシュ・ゲストハウスで朝食後、いよいよ高山植物を求めて南側の渓谷に向け出発。
Google Earth より

あの谷間へ入るのかと思っていたが、
山に入る手前のこの草地でフラワーウォーキングは始まった。
アラ・アルチャ渓谷は文字通り高山の谷間だったが、チョン・ケミン渓谷は、この広い高原全体を指すらしい。
『Lake Issyk-kul』は、クンゲイ・アラトー(Kugey Alatau)とザイリスキー・アラトー(ZailiiskiyAlatau)の間を東西に80㎞走っているという。
2つの山脈が合流する、あの東の方まで全部がチョン・ケミン渓谷なのだった。
添乗員金子氏の旅日記によると、公園内の最高峰は7000mを越えるが、渓谷内は1450-1700mという。
日本でいうと、上高地(1500も)から、八方尾根のロープウェイで上がった八方池(1830m)より少し低いくらい。緯度は首都のビシュケクで42.90、上高地で36.14。
確かにお花畑。たくさんの花が咲いている。
ここで見た花についてはこちら

朝見えていた峰々。
その手前の一面に広がるお花畑。
山とお花畑の続き(北西側)
人が隠れてしまうほど、一面のお花畑。農地以外は、こんな風に雑草が咲いている。
我々にとっては目を楽しませる花々だが、現地の人たちにとってはただの雑草らしい。彼らにとって、花とはバラなどの栽培するものだという。なんともったいない。
粘菌も。意外と厚みがあった。

気が付くと、タラスさんは馬に乗った人と話をしていた。
自転車かバイクでやって来たみたいに、普通に馬に乗って移動する、騎馬遊牧民のDNA。でもタラスさんはもうすぐ廃れるだろうと言っていた。いつまでも馬に乗っていてほしいなー

30分ほど楽しんだ後、バスで移動。
道端に雄鶏がいたり、
仔牛が寝そべっていたり

キルギス・アラトーがよく見える

ケミン川を渡り、
右折して上流へ。
耕作地は山の麓に広がり、川に近いところは耕していないようにも見える。
向こうの山はクンゲイ・アラトーだろうが、雪の残らない、あまり高くない山。

ここでバスは停まった。
立派なカヤツリグサ科の株があった。地味な花にも目を留める金子氏
セリ科のお花畑の下で養蜂をしていた。
ここの養蜂家はロシア系で、イシククル湖畔からこの渓谷に1週間前に移動してきたばかりという。キルギスでは、養蜂家はロシア系で、遊牧民のキルギス人は養蜂はしないのだとか。
チョン・ケミン渓谷では600種類の花が咲くが、ミツバチは200種からしか蜜を集めない(金子氏の旅日記より)。
虫媒花だけで200種類も咲いているとは。見つけられない花がかなりあるということやね。
このお花畑はずーっと続いていそう。
ハチは我々の所まで飛んでこないが、セリ科のお花畑からはたくさんの蜜が採れるのだろう。 まさに蜜と乳の流れる別天地。
通る車といえぱこんなもん
せっかくなので、高山植物の花の蜜をわけて頂いた。

その後近辺で花を撮影し、アシュ・ゲストハウスにもどって昼食。三度も同じところで食事をすることになるとは。
サラダ
平たい麺入りスープ
野菜と肉の煮込み

その後、三度同じ橋を渡り、
左折でチョン・ケミン渓谷を出て行く。北東側にも雪の残る峰が顔を出していた。

しかし、少し走ったところで、またお花畑で写真ストップ。
メタカラコウの群生。何故か二列になっている。


前方にはキルギス・アラトーの氷河を頂いた峰々。


ゆったりした時を過ごした広々としたチョン・ケミン渓谷を離れていく。


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関連項目
チョン・ケミン渓谷の花1
チョン・ケミン渓谷の花2