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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年11月3日木曜日

ドゥシャンベからアジナ・テパへ


ホテルを出発。まずソモニ通りに入って郵便局に連れて行ってもらった。
切手を買うためだけでなく、タジキスタンでは観光地やお店などでも絵はがきがほとんどなく、郵便局で扱っているのだった。
そのためにバスが停まったのは、向かい側の小学校の前だった。
左側の子はやや平たい顔族の血が入っているかな。右の子は東方アーリア系かな。

バスはヴァルゾブ川を渡った後、南下していった。

南方は昨日ほどではないものの、乾いた山岳地帯。

やがて西へと流れを変えるヴァルゾブ川を再び渡るが、向こうに架かっている細長いものは橋ではないだろう。パイプラインだろうか。
左側(ざっくり東側)は低い山が遠くに見える。
そう思っていたら、とても人工的な横筋のある丘が続いて、
やがて本来の柔らかくうねる山肌となり、平地となった。

バスを降りてしばし休憩。
木さえ生えていれば日本かと思うような小さな集落を眺めた。
そして、やっぱり古代テティス海の堆積地層も見えた。

小さな町に入ると、どの集落も屋根は入母屋造。
タジキスタンの学校は共学だった。
バザールを通過。ナンと果物の店が外に並んでいる。

再び郊外へ。
タマリスクでもない、赤い植物が一面に見られる。
また少し高い所を通っていると、崖の下に牛がいた。

クルガン・テパという街を通過。これはかなり横に長い建物だった。
クルガン・テパとは興味深い地名だ。北方ユーラシアに残る円形の墳丘墓をロシア語でクルガンと呼ぶのだと思っていた。テパとはテル・テプ・テペなどとも呼ばれる遺丘で、同じ場所に各時代の町が築かれて丘状に盛り上がったものだ。
クルガンはどんな古墳ですね。
いや、クルガンは狩猟地のことだ。
タジク語では狩猟地のことを指す言葉で、中央アジアで発掘調査するロシア人が、古墳をタジク語のクルガンを古墳という意味で使うようになったのかも。

また郊外に出て、農地の中を走り、
きれいな水が蕩々と流れる用水路を右折で越えた。
暑い時期には涼む、鴨川の川床みたいなところかな。
そして、綿花畑を抜けていった。
小さな集落では、綿を収穫したトラックの荷台が放置されていた。ここでバスを降りたが、遺跡らしきものは見当たらない。

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